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1869年、戊辰戦争の敗北で故郷を追われた会津藩士の数人が、オランダ人の会津藩軍事顧問(武器商人とも言われている)ヘンリー・シュネル(Henry Schnell・日本名:平松武兵衛)の手引きにより、桑・竹・お茶などの苗木と共にチャイナ号に乗り込み横浜を出港、三週間以上かけてサンフランシスコ港に到着。
更にそこから川蒸気船でサクラメントに向かい、そこから馬車でゴールドヒルにたどり着く。
農地を購入しそこで再興を願いながら桑やお茶を作り始めた。
その農場は、会津若松の一部をもらい 『若松コロニー』 と命名。
しかしそこでは、日本とは違い夏場は雨が一滴も降らないと言う想像を絶する体験をする事となった。
傾くコロニーへの資金調達の為、シュネルと日本人妻はコロニーを後にするが帰ってくることは無かった。
わずか2年で崩壊した農園に取り残された一人が若干16歳の "おけい" と言う少女。
かなり前フリが長かったけど、6月9日若松コロニーができて150周年の式典が、
ゴールドヒルで行われた。(参加したかったけど無念の欠席)
せめて "おけいさんのお墓" だけでも見たかったと思っていたら、
ありがたや、知り合いのFuちゃんさんが写真を撮っててくれた。
その写真の真ん中の白い墓石には
In Memories of OKEI
Died 1871
Aged 18 years
(A Japanese Girl)
と記されてる。
真っ白いせいか純真な心そして "望郷の念"を感じさせる。
幕末の時代に翻弄され、夢を託して黄金の丘でお城の再起をかけ懸命に働きそして病死…
いつかは本当のお墓にお花を手向けに行きたい。
写真の共有にOKしてくれたFuちゃんさんありがとうございました。
そんなおけいさんの運命をたどる書籍 ↓
夏休みの"課題図書"読書感想文に続くみたいな話でした。
おけい上:https://www.amazon.co.jp/おけい-上-文春文庫-早乙女-貢/dp/4167230089
おけい下:https://www.amazon.co.jp/おけい-下-文春文庫-早乙女-貢/dp/4167230097