パリで探すルイ16世の足跡 フランス革命から断頭台に登るまで
2020.4.14
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ここ数日、日本で「ルイ14世」という単語をよく聞きますので、ルイ14世にちなんだパリと、その近郊のスポットをご紹介します。ルイ14世(1643-1715)というのは、ブルボン朝の最盛期を築き「太陽王」と呼ばれたフランス国王です。
ちなみに少し前に、同じく「ルイ16世」と騒がれた時にまとめたルイ16世関連スポットは「パリで探すルイ16世の足跡 フランス革命から断頭台に登るまで」にあります。
ルイ14世の生まれはパリではなく、パリの西郊外にあるサン・ジェルマン・アン・レーです。ルイ14世は、ここで幼少期を過ごし、フランス国王として親政を開始してからも、たびたびサン・ジェルマン・アン・レーで暮らしています。
政府の重税などをきっかけに始まり、長く続いたフロンドの乱が収まった後、ルイ14世がパリ高等法院にて、法服貴族に対し言ったというセリフが「朕は国家なり」(L'État, c'est moi)です。「私は国家そのものである」という意味で、17世紀フランスの絶対主義を象徴する言葉として知られています。パリ高等法院の場所はシテ島にあり、現在はパレ・ド・ジュスティス(パリ司法宮)があります。
パレ・ド・ジュスティスの敷地内には、ステンドグラスで有名なサント・シャペルもあります。
・住所: 10 Boulevard du Palais 75001 Paris
▲ヴェルサイユ宮殿 ©︎ iStock
ルイ14世を象徴する建物がヴェルサイユ宮殿です。ルイ13世の頃からあった小さな館を大規模に増改築していき、広大な宮殿が造られました。また、国王の権限は神から与えられたもので、国民はこれに従わなければならないとする王権神授説の考え方のもと、ルイ14世の治世は絶頂期となり「太陽王」と呼ばれました。
なお、ルイ14世はグレート・ピレニーズやパピヨンという犬種を愛でたそうです。
戦傷により生活能力を失った軍人を収容した施設で、ルイ14世によって建てられました。後世には、国王ルイ・フィリップにより、ドーム教会に地下墓所が設けられ、ナポレオンの柩が安置されています。ナポレオンの他にも、ナポレオンの親族やフランスの有名な将軍の廟があります。
パリ南部フォンテーヌブローに建つ宮殿。歴代王族の狩猟用の館としても使われました。1685年にルイ14世はここでフォンテーヌブロー勅令を発しました。内容は、プロテスタントの礼拝禁止と、改宗しない牧師の国外追放をするというもの。改宗に応じなかったユグノー(カルヴァン派のプロテスタント)は国外に亡命し、その中には多くの手工業者や商人が含まれていたため、結果的にフランスの経済力は衰えました。フランスに残ったプロテスタントも反乱(カミザールの乱)を起こしますが、武力鎮圧されています。
ルイ14世を題材にした映画
新型コロナウイルスで、今は以前のようにパリへ行けませんので、映画で雰囲気を味わってもいいかもしれませんね。
■『仮面の男』
17世紀のパリ、飢餓に苦しむ市民をよそに権力と贅沢に酔う若きルイ14世の圧政を見兼ねたかつての四銃士は、ルイ14世の双子の弟を王として擁立する(『キネマ旬報』より)。
■『ルイ14世の死』
"太陽王"と呼ばれ、豪奢を尽くしてヴェルサイユ宮殿を作ったフランスの王・ルイ14世が、病床に伏して亡くなるまでの数週間を描く(『キネマ旬報』より)。