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【カマラ次期副大統領】マダムバイスプレジデントが育った場所

美丸(Mimaru)

美丸(Mimaru)

アメリカ・カリフォルニア州特派員

更新日
2020年11月11日
公開日
2020年11月11日
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▲最寄り駅

バート・リッチモンド線(レッドライン)のノースバークレー駅。

カマラ・ハリス副大統領の育ったお家の最寄り駅。

選挙政治について個々の考えや思想、損得があって私には問えませんが、カマラ・ハリスさん(次期副大統領)が、ご両親と一緒にどんな暮らしをしていたのかを見に行ってきた野次馬^ ^:フィールドトリップな話です。

▲オーロンパーク

駅舎の周りは駐車場になっていて、道路を渡ると細長い形をした「オーロン・パーク(Ohlone Park)」があって、「在来植物ガーデン( Native plant Garden)」も発見。おじいちゃんとお孫ちゃんがゆったり散歩しているのどかな風景です。1974年バート建設にともない作られたスペースで、北カリフォルニア八大先住民族のひとつと言われていてベイエリアにもたくさん住んでいた"オーロン族(Ohlone)"の名前がついています。

▲ローンボウリング?

最寄り駅から徒歩20分と出ていたので歩いてみました。「ローンボウリング・グリーン(Lawn Bowling Green)会員募集!」ローンボウリングって何だ? 初めて聞きました!!

▲遠巻きに観戦

芝生でやるボウリングみたい? でも当ててるのはピンじゃなくてボールに当ててる感じ……

聞けば、"Lawn Bowls"とも言われているローンボウリングは、ボウリングの全身。ボールの中心部が偏っている"ボウル"を転がして、目標球にどれだけ近づくかを競うイギリス発祥の球技。ペタンクやカーリングみたいな競技(ボウリング場のボウルも同じ構造なので、スピード落ちるとカーブする)。

▲歩道脇

鬱蒼とした木々に行手を阻まれるそうになりながらも進んでみると、なんとその樹は、イチジク・オリーブ・レモン・ちょっと変わったシトラス系・ちっちゃいオレンジみたい……食いしん坊にはたまりません。

▲歩道に書かれたお祝い

そのブロックになると、歩道にチョークで描かれたお祝いや応援のメッセージがぎっしり、踏むのも気が引けるので車道を歩きます。

▲家の前

▲いまや名所

当選が決まった土曜日はブロック封鎖になってしまうほどだったそうです。平日の昼間でも入れ替わり立ち代わり写真やセルフィーの人たち。ちょっとした名所になってしまいました。2世帯が入っている間取りの家ですね(ひとつはクラスとして使ってる)

この家で育ったカマラ・ハリス(Kamala Devi Harris)さんは、隣町オークランドで生まれました。お父さんは、ジャマイカ人で1961年にUCバークレーの経済学の勉強のため渡米(のちにスタンフォードで経済学教授)。お母さんはタミル系インド人で乳がんの研究ではとても有名な方だったようでした(1960年移民)。下世話な想像ですが、経済的にお母さんによるところが大きかったのか、カマラ(Kamala)というインドっぽい名前がついたのかも^ ^

ハリス一家は、大学院のあるバークレーに住むことになるわけですね。当時UCの大学院に通う人、研究者はキャンパスに近い丘側に住むことが多いのですが、当時の世相がうかがえます。

▲コミュニティガーデン

帰りに見つけた「コミュニティガーデンパッチ(Community Garden Patch)」ものぞいてみましたよ。ここらは1972年まで鉄道が通っていて輸送と乗客サービスをやっていた場所だった、鉄道の移転にともないバークレー市が公共スペースとして使うことになりUCバークレーの協力のもと1994年からコミュニティガーデンとして開放されています(バークレーコミュニティーガーデンのウェブサイト)サンタフェ鉄道が去っても、ここから徒歩20分でアムトラックバークレー駅(アムトラックサイト)がありますよ。

▲無人販売

見てくれはともかく今朝採れたばかりっぽい野菜がのっかっていたので、香りもよくって触ってみたらすごく柔らかいので、記念に小さい束のアルギュエラ、パセリとケールを分けてもらい(コインで1ドル分)寄付しました。

▲ガーデン

季節の野菜や花が育って咲いてる。

▲カマラサラダ

"採れたてを食べよう〜"のバークレー精神いっぱい。

先ほどコミュニティガーデンで分けてもらったアルギュエラ・パセリ・ケールと家にあったドライファームトマトのサラダ。生で食べても硬さが気にならないケールにちょっと感動。野菜の匂いプンプンしておいしい(ドレッシングは、オリーブオイル・塩胡椒・レモン汁)

さて、私が住んでいた頃、気をつけないといけないエリアだった"セントラルバークレー"。当時はそんな言葉すらなかったような気もします。住んでいる人は変わっても60〜70年代の家も残りなかなか雰囲気がよくなっているエリアです。

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