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かつては軍事演習場だった蒜山の歴史 ~真庭市蒜山エリア~

mami

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岡山特派員

更新日
2023年9月30日
公開日
2023年9月30日
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現在は、県内屈指の観光地として賑わう蒜山高原ですが、太平洋戦争の時、蒜山にも空襲があったという話を聞いたことがありました。どこまでも続く、なだらかな高原しかない山村に空襲があったとは俄かには信じられませんでしたが、昭和10年から終戦まで蒜山には、「蒜山原陸軍演習場」が存在していました。演習場は広さが8000ヘクタール以上あり、日本最大の軍事演習場だったと伝わっています。蒜山の地形が中国大陸に似ていることから、当地での戦いを想定して兵士1000人規模が参加する極めて実践的な訓練がなされていたそうです。

ふだんは、古墳時代(四ツ塚古墳群)の出土物や大宮踊(国重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産登録)、地元の工芸、民具などの展示が中心になっている蒜山郷土博物館では、2年前には「蒜山原陸軍演習場の全貌-守り、伝え、誓う」と題して、演習場に関する企画展が開催されたことがあります。今もトーチかや地下壕などが残り、こういった戦争遺構を保存し、平和学習に活用する取り組みも進められ、今年は演習場遺構を巡るバスツアーや修学旅行が本格的に始まったそうです。

西日本を代表する高原リゾートして人気のある蒜山高原は、子供の頃から何度も訪れたことがありましたが、負の歴史を知ったのは、ここ2~3年です。身近な戦争遺構から現在も続いている戦争や紛争に対して深く考えてみたいと思います。

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