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皆さんგამარჯობა(ガーマルジョバ:こんにちは)!
先日、ボルジョミとトビリシ間の車窓からの景色を紹介しましたが、国立公園で勤務していると、トビリシからボルジョミ間での他のオススメの立ち寄り場所や、ボルジョミ滞在中に日帰りで訪れる事が出来る観光スポットなどを聞かれる事が多くあります。
そこで今回は、ボルジョミとトビリシの真ん中あたりにあるゴリ(Gori/გორი)という町を少し紹介します。
以前には、ボルジョミからほど近いウィンタースポーツの町”バクリアニ”も紹介していますので、ボルジョミ滞在中の参考にしていただければと思います。
・【トビリシーボルジョミ間】眠るのは勿体無い、マルシュの車窓から(前編)|https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3004986/
・【トビリシーボルジョミ間】眠るのは勿体無い、マルシュの車窓から(後編)|https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3004987/
・【ジョージア・バクリアニ】ボルジョミから近い、冬の有名リゾート地バクリアニへ!|https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/3004810/
ゴリはトビリシから西へ80km程行った場所にある町で、ジョージアの12の行政区の内の1つの州である”Shida Kartli(შიდა ქართლი)”の首府の町です。以前の車窓からの景色の記事でも紹介した、トビリシ近くの町”ムツヘタ”と並び、ジョージア国内でも軍事戦略的に非常に重要な町であった為、7世紀頃にはゴリ要塞が建てられました。
ゴリという名前は、ジョージア語で”丘”を意味し、今も残るゴリ要塞が由来となっています。また、上記でリンク掲載した車窓記事(前編)で紹介した、トビリシ市内から出た場所にある銅像”ダヴィド4世”が建設した町とも言われています。
1920年には大地震が発生し、町の多くの建物は崩壊した為、住民の多くはソ連時代に建てられた建物に住んでおり、ソ連建築の名残が多く残る町でもあります。筆者もゴリに行った際、ソ連時代に少しタイムスリップした感覚を味わいました。
・Gori – A City at the Crossroads of History|https://georgia.travel/cities-towns/gori
ここジョージア、ゴリは、スターリンの出身地。
ロシア帝国支配下のジョージアで靴屋の三男として生まれました。皆様に馴染みのスターリンという名前は、”鋼の男”という意味のペンネームであり、本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリと言います。○○シュビリという名前は、ジョージアの西部と東部に多い苗字でよく聞かれるジョージア名です。
そんな彼のミュージアムがゴリにはあります。車でゴリ市内に入ると5分程で到着し、立派なミュージアムが現れます。
ミュージアムの入場料は、1人15ラリ。
(ガイド付きですが、”付く”と言っても、ある程度人数が固まると勝手に英語ガイドが説明を始める為、それについて回るという印象です)
ジョージア価格としては若干高く感じますが、こちらの博物館は殆どの訪問者は外国人なのです。
それは展示している内容に理由があるのですが、メインの展示場では彼の生い立ちや人生に焦点を当てた展示が多く、彼が行った大粛清の被害や、1930年代以降のウクライナで外貨獲得の為に発生させた人為的飢餓である『ホロドモール』や多くの迫害に関しての展示はほぼ無く、彼を英雄の様に展示している事に理由があるかと思います。
筆者も同僚から、ジョージア人が行かない博物館とも言われました。
博物館には、6つのホールがあり、革命中の活動、1925年から1939年のスターリンが率いた党が戦ったソビエトの歴史、第二次世界大戦時の写真の展示(テヘランやヤルタ、ポツダム会議で撮影された写真など)、デスマスクのコピー、世界中からのスターリンへのプレゼント、彼の個人的な所有物がそれぞれの部屋に展示されています。
さて博物館には、ジョージア語、ロシア語がメインの言語として展示物の説明がされており、一部英語で書かれていますが、長文説明などの多くはロシア語とジョージア語のみなので、英語話者には理解が難しい印象です。
また博物館の外にあるスターリンの生家や、建物向かって左にあるヤルタ会談時に使用された列車の内部は、ガイドが鍵を持っている為、ガイドと共にいない限り内部は見れません。
その為ガイドと共に回るとある程度の理解は深まり良いでしょう。筆者が入ったタイミングでも、既に英語ガイドが説明していましたが、分かりやすく絵の背景も説明していて、聞き耳を立てながら、自分で回覧していました。
さてゴリには悲しい歴史もあり、その様子は博物館入って1階の右手側の部屋で見る事ができます。
ゴリはトビリシやボルジョミも通る主要幹線道路の途中にもある事から、今でもその町の重要性は変わっておらず、2008年の南オセチア戦争(ロシアーグルジア戦争)では、ロシア空軍に占領され、爆撃も受けた悲しい歴史を持つ町です。
歴史を学校で学んだ人にとっては、スターリンがどういう人間で、何をしたかは明白だと思います。
その為、それらの知識を頭に入れつつ、博物館2階にある展示を見てから、南オセチア戦争でのゴリ占領時の写真展示を見る事を筆者は個人的にお勧めします。
何故なら上階に展示されているおよそ100年前の展示物の写真と、今の時代の占領の様子を見比べても、受けた被害や犠牲内容は変わっていないからです。
その様なロシア帝国、ソビエト連邦、ロシア連邦と3つの国の歴史に翻弄され、深く関わってきた町だからこそ、地元の方による博物館に対して抱く思いや考えは、外国人からは想像のつかない別の物なんだろうと思います。
今回は、トビリシとボルジョミ間にあるゴリという町を紹介しました。スターリンはジョージア出身であると言うと驚かれる人が多いですが、その様な際に当時のロシア帝国が支配下にしていた国の多さや、支配下領域の大きさを感じます。
ゴリやジョージアでの歴史を踏まえて地元の方はあまり行かないという事実や、彼が実際に行った歴史的事実も頭に入れながら、博物館を見ることも学びになるのではないかと筆者は思います。
こんなものまで?という彼の個人所有物やデスマスクなど、展示品の多さには定評がありますので、お時間ある際は、是非立ち寄ってみるのも良いですね。