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以前は立ち入る事すらできなかった場所の一つに、「ベイビュー・ハンターズ・ポイント地区」がありました。かつては海軍の造船所や火力発電所があった場所です。ここには軍が閉鎖になった後も周辺住み続けている方もいいます。ガントリークレーンが立ちはだかり、廃れた廃墟の雰囲気が漂っていました。しかし、昨今ここは再開発の大きなうねりを受け、10年、5年前いや2年前とも全く違い新しい住宅ができています。また以前からアーティストさん達が、海軍のビルに住み始めていてアトリエとして使っていて、先日オープンスタジオがあると言うので行ってみました。芸術と産業建築との摩訶不思議な空間でした。
オープンスタジオのシップヤードまで公共交通機関を使っての行き方ですが、ダウンタウンあたりからは#15バス(パロウ&サードSt行き)。もしくは#19バス(シップヤード行き)です。行きは#19を利用してみました。
#19はフィッシャーマンズワーフ(ギラデリSQ付近)からシップヤードまでの南北の長いルートです。ルート途中テンダーロインを通ったり倉庫、工場地帯を通過するため少し怖く感じるかもしれません。ミュニバスに乗り慣れていない場合は、SOMAからドッグパッチを通る#15で行った方が安心でしょう。
バスは淡々と倉庫、工場、修理工場、廃材置き場のような場所を抜け、終点付近のハンターズ・ポイントの現在は、再開発の重要ポイントでコンドミニアム建築ラッシュです。
真新しい住宅街の端っこが終点シップヤード。フェンスが張り巡らせれて降りるのがちょっと躊躇しましたが、アートスタジオのオープンハウスだったので、もう一人降りる人がいて安心。バスはここからUターンして始発になりました。オープンしているビルにはカラフルな旗が掲げてありました。
今回のオープンスタジオを主催したのが、「ハンターズ・ポイント・シップヤード・アーティスト(HPSA)」このアーティスト活動団体は、1983年に発足し40年も活動を続けています。旧海軍・造船所施設内に現在約300人のビジュアル・アート、ミュージシャン、作家さんが住んで(レンタル)います。朽ちかけた外観からは想像がつない芸術の空間です。
各お部屋には住居人のアーティストさんが迎えてくれます。飲み物やスナック、フルーツなどが用意されていて、作品の紹介や談笑を交え過ごします。購入したい場合は商談したりしていました。絵画投資家?と思うような方もちらほらいました。ここには歴史的な芸術家がいるかもしれません。
目利きから私のようなお楽しみ見学者までいろんな人が訪れていました。
シップヤードの広さは258ha。サンフランシスコ地図を見ると南東(右下)部分にほぼ白抜き状態の場所が1941〜1974年までハンターズ・ポイント海軍造船所だった所になります。核の応用研究施設あり、先の大戦ではここから核分裂用の装置を積み込んだとして知られています。アーティスト協会のロゴにも使われ、地域のランドマーク的な存在が「ハンターズ・ポイント・ガントリークレーン」。高さ約138m、重さ8,400トン。とにかくでっかいです。軍艦や空母などの修理用として1947年アメリカン・ブリッジ社によって作られました。当時は世界最大のガントリークレーンだったそうです。
ピーク時の第二次世界大戦終了の頃ここに約1万8000人の男女の従事していました。軍から払い下げられた1974年以降は商業船修理場となりました。この近くには火力発電所もあって、放射能汚染と合わせ環境汚染が心配されていた場所です。
オープンハウスのおかげで奇しくもこの旧造船所を見学することもでき、改めてサンフランシスコは軍で成り立っていた都市だったのが分かります。観光地的な場所ではありませんので、おそらくほとんどの方はやってくることはないかもしれませんが、これもサンフランシスコです。
ものの本によれば第二大戦頃までの産業に大きく寄与した施設を「産業遺産」と呼ぶようですが、この施設もひょっとして産業遺産かもしれません。ここで撮った写真の枚数にびっくりしてしまいました。考えてみれば、アルカトラズ島も大好きだし…。ひょっとして私は産業遺産フリークかもしれません。
++++++昔々、確か1990年代ゼネコンのCMで”地図に残る仕事”ってコピーがありました。このシップヤードあたりは今はかなり白抜きになっていますが、これからシップヤード周辺は詳しく地図に掲載される場所になりますね。