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アメリカを代表する観光地フィッシャーマンズワーフは、海岸沿いジェファーソンStから2〜3ブロック離れるとアパートが並ぶ住宅街になります。メイソンStには、知る人ぞ知る老舗プチホテル「サンレモ・ホテル(San Remo Hotel)」があり、「フィオール・デ・イタリー」というレストランがあります。磨き込まれたバーカウンターに、近所の人たちが集い、夕方はファミリーが早めの夕食にやってくるそんな場所です。今回はここのハッピーアワーとサンフランシスコの歴史にまつわるお話しです。
なぜここにハッピーアワーがあるのか知ったかというと、ここで100人近くのパーティをすると聞きました。大きなホテルでもないのでほんまかいな?という気持ち入ったらなんとハッピーアワーがあるではありませんか。ということでハッピーアワーに没入し、パーティ用のスペースがあるか探ってみたわけです。
6人から90人まで人数に合わせたパーティルームはオーディオ・ビジュアル機器の貸し出しOK。結婚式やビジネスシーンには重宝します。まさに百聞は一見に如かずでした。
ビール5ドル、ワインはメニューから3ドル引き。フードは、温オリーブ(7ドル)、ブルスケッタ(2個9ドル)、シーザースサラダ(9ドル)、ソースが選べるペンネパスタ(10ドル)、ミートボール(7ドル)など親しみのあるメニュー。私ら日本人の胃袋にはちょうどよい量で、見た目でお腹いっぱいにはなりません(笑)。
夕方5時前、子連れファミリーがラウンジで食事をしていました。ママ友なのか学校の様子を話していたり情報交換、国は違えど親御さんの心配事は万国共通です(微笑)。
さて、このレストランの創業は古く、ゴールド・ラッシュに狂喜乱舞するバーバリコースト・ブロードウェイに1886年オープン。地元民に愛された場所でしたが1893年火災で焼失。しかし不死鳥のごとく、すぐ近くで再開します。地元の名士や企業家、外交官、芸術家の社交場として賑わうようになりました。1906年4月8日サンフランシスコ大地震で被災の憂き目を見ることになります。が、地震からわずか1週間でテントを建て、炊き出しをしたのです。この経緯は、サンフランシスコ最古のベーカリーと似ています。
翌年、カーニーStとブロードウェイの角あたりで営業再開。隣接してもう一軒店を構える(この建物は現存)。
1950年代のブロードウェイは、ナイトクラブやキャバレーが乱立し、もはやレストランには適していませんでした。そこでワシントンスクエア(ストックトンStとユニオンSt)に移転し、半世紀に渡り営業していましたが、2005年の冬、地下室で火災発生。これを機にサンレモ・ホテルに移り、北イタリア料理のダイニングとして揺るがぬ地位を築いています。
また、「サンレモ・ホテル」は、1906年サンフランシスコ大地震の火災で都市部の大部分が焼失した後、バンク・オブ・アメリカの創設者でイタリア移民のA.P.ジャンニーニが建てたホテルです。イタリア風ビクトリアン様式で大地震からの再生を願い「ニュー・カリフォルニア・ホテル」と名付けたそうです。
イタリア系移民はノースビーチに住んでおり、イタリア系の人たちが多かったのもこの場所に作った経緯もあったかもしれません。都市を再建するためにさまざまな労働者を募集したわけですが、このホテルでは無料の食事と部屋が与えられました。
【Fior d' Italia】
【San Remo Hotel】
ひょんな情報をゲットしたおかげ、いつも通り過ぎていたホテルとレストランにサンフランシスコの歴史が詰まっていたなんて!知っているようで知らない事が盛りだくさんのサンフランシスコです。フィッシャーマンズワーフ滞在をプランしている方、ぜひチェックしてみてくださいね。