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【岡山 倉敷市】吉備真備ゆかりの地を訪れて そのⅡ~旧真備町~

mami

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岡山特派員

更新日
2025年12月12日
公開日
2025年12月12日

こんにちは。岡山特派員のmamiです。今月は、平成の大合併で倉敷市となった真備町の吉備真備ゆかりの地をご紹介しています。

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吉備公の産湯の井戸

まきび公園から北へ行くと吉備公の産湯の井戸といわれる場所があります。吉備真備公の遺徳を偲び平成2年に整備されています。今も現役で使われている井戸ですが、唐風(?)にアレンジされた井戸は、想像とはずいぶんとかけ離れていました。

井戸から道路を挟んで東側には、今では石碑が残るのみですが、吉備真備公の館が建てられていたと伝えられている吉備真備公館址もあります。
この地は、昔天原(てんばら)といい、真備公が生まれる前夜この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになった。と説明版には記されていました。
…とはいえ、「わが町こそ吉備真備の誕生の地」と名乗っている、隣の矢掛町にも産湯の井戸や吉備の館跡があるのです。

ただ、幕臣として働きながら、狂歌や戯作などで活躍した大田南畝は、長崎奉行所での勤務を終えての帰り道を記した旅行記『小春紀行』には、こちらの井戸のことを吉備真備公の産湯の井戸として記載をしていますが、矢掛の井戸はでてきません。当時はこちらのほうが知名度があったのでしょうか。

琴弾の岩

政界を引退してふるさとに戻ってきた真備公がこの岩の上で月を愛でながら琴を弾いたといわれる琴弾の岩です。
おそらくは大和で生まれて大和で没した可能性が高い真備公ですが、江戸時代には岡田藩、庭瀬藩のそれぞれの地域で誕生した伝説が語り継がれ、今でも祭りや行事が残っています。
唐に2度留学し、帰国後も政争に明け暮れ波乱に満ちた生涯をおくったので、せめて余生はこのような穏やかな場所で過ごしていたと願いたいですね。

岩の上にのぼり、あたりを見渡して見ました。
小田川を挟んで真北の対岸の山に穴門山神社という古い社があり、道教的な祭祀を行っていたという話しを聞きます。古代の琴は神の声を聞く道具でもあったとも伝わっているので、この岩と関係があるのでしょうか。
小田川の南には、以前アップした安倍清明ゆかりの地、といわれる安倍山もあります。唐から陰陽道を学んで帰ってきた吉備真備と陰陽師として活躍した安倍清明、藩主や地元の陰陽師たちによって、このような伝説の地ができあがったのでしょうか。

 

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