【福岡】出光佐三の生涯を宗像赤間宿でたどる
2026.5.2
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唐津街道を歩いていると辻田橋のたもと釣川の川岸に、ポツンと石碑が2本立っていました。何の石碑だろうと調べてみると、意外なことが分かりました。
釣川は宗像市南東部から、市内のほぼ真ん中を流れる川で、道の駅「むなかた」がある江口の河口まで約16kmの2級河川です。宗像市民の飲料水源、農業用水源として使用され、「恵みの川」でもあります。
しかし、その歴史は穏やかなものではなく、江戸時代には水害が多く、住民たちはその度に苦しめられました。そこで治水事業が必要となりました。宝暦(1751)年ごろには郡代 大森善左衛門による大改修が行われました。
それから約40年後の寛政3(1791)年、郡奉行 冨永軍次郎はのべ26000人を動員し、川底を深くし、川幅を広げる工事を実施しました。この時に河口まで10本の定石が建てられましたが、現在残っているのは、この一番定石だけです。
大イチョウの木の側に石碑が二本立っています。これは釣川一番定石といって、かつての工事範囲境を表示したものです。
①番号と川の幅
②波打ち際まで、前の定石までの距離
③次の定石までの距離
④設置年
が刻まれています。
石碑に刻まれた文字を見てみると、四面全てに文字が彫られていました。
「一番自下川巾五間半」
「自是冽口波打際迄長五千四百間」
「自是下田久鎰分之内迄八百六十間」
「寛政三辛亥四月建」
これらの意味は、
「一番定石から下の川幅は5間半(約9.9m)」
「ここから河口の波打ち際まで5400間(約9.8km)」
「ここから隣の田久鎰分まで860間(約1.6km)」
「寛政3(1791)年4月建立」
ということになります。
本来は一番定石から十番定石までありますが、一番定石以外は全て現存しておらず、貴重な金石文(きんせきぶん)です。
もう一つ石碑が建っていますが、こちらは道標碑のようで、二面に文字が彫られていました。
「此方鞍手郡山口道」
「此方畦町道」
「こちらの方角は鞍手郡山口(宮若市山口)への道」
「こちらの方角は畦町(福津市畦町)への道」
という意味です。
この定石は唐津街道沿いにあり、いろいろな場所に行ける交通の要所と考えられるため、こういった道標が建てられたのではないでしょうか?今でいうと主要な交差点に、標識が立っているようなイメージです。
釣川沿いには桜づつみ公園が整備され、散歩やジョギングを楽しむ市民の姿が見られます。また、芸術作品を楽しむモニュメントもあり、思い思いに過ごすことができます。
これができるのも、かつての治水工事を行なった「むなかた」の人々の苦労があるからこそです。そう思うと自治会の釣川清掃の意義も一層深いものとなりました。
参考文献
『唐津街道 赤間宿・原町歴史ガイドブック』
『新修宗像市史 くらしと生業』第一章 釣川流域の歴史 第二節 釣川の改修と保全より
◾️釣川一番定石
住所:〒811-4146 福岡県宗像市赤間3丁目1−1 辻田橋付近
アクセス :
車:九州自動車道 宮若ICより約20分
公共交通:JR教育大前駅より徒歩13分