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乃木坂の国立新美術館で開催されている「ピカソmeetsポール スミス」展に行ってきました。
イギリスの著名なデザイナーのポールスミスが会場デザインを担当した、ピカソ没50周年の展示会で、世界各国を巡回しています。年代、テーマごとに分かれた展示は見やすくてついつい引き込まれてしまいました。3万点を超えると言われるピカソの作品から選りすぐりの83の名画を楽しむことが出来ます。
日本のしかも企画展にしては珍しく、写真撮影のみならずSNSへの利用も大丈夫という嬉しい展覧会でした。
是非美術館で本物の絵をご鑑賞ください。
https://www.nact.jp/exhibition_special/2026/picasso_paulsmith/?fbclid=IwY2xjawTw6oRwZG9mBWV4dG4DYWVtAjEwAGJyaWQRMXdJSFV3U29DMks3MWtDeHlzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEeRAl071De7V_kucJTr9Mi2LKJ2e2vsaJhKAG9-hxT-SmcVpfxGuq5quF2SqQ_aem_vCIWCmXDPkzs4xDhXGAP7w
本展示会は、パリ国立ピカソ美術館で開催された「ピカソ・セレブレーション:コレクションに新しい光を!」を基に再構成された国際巡回展との説明がありました。パリ国立ピカソ美術館で開催された「ピカソ・セレブレーション:コレクションに新しい光を!」を基に再構成された国際巡回展との説明がありました。英国の著名ファッションデザイサー・ポール・スミス卿が会場設定を行っています。
展示はテーマごとに15の展示室にわかれていて、ピカソの画風の変遷がとてもよく分かりました。
幾つかを纏めてご紹介します。
展示室00は、後の05の部屋で出てくる”アッサンブラージュ”もよる「牡牛の頭部」の作品です。照明による影も素晴らしいとおもいました。
展示室01は、ピカソの遊び心が見られるファッション誌ヴォーグの写真への’落書き’作品です。
展示室02は青の憂鬱。青の時代と言われるピカソの初期の作品です。友人の死が影響してるのかもしれません。
展示室03は、カタルーニャの辺鄙な村ですごし、女性の主に描いていたころの作品です。ルーブル美術館で観たイベリア美術の影響を受けているといわれています。これらは有名な「アビニヨンの娘たち」に集約されていきます。
04 キュビズムの実験室では、ジョルジュ・ブラックとの協業で作り上げたキュビズムの作品が展示されています。
05 アッサンブラージュとコラージュは、紙をキャンバスに貼り付けるコラージュをさらに発展させ、立体的な物を組み合せたアッサンブラージュへと進化させました。
1910年代末の秩序への回帰という流れの中、ピカソも多くの作品を描いています。1919年に終わった第一次大戦が影響しているのかもしれません。
舞台芸術に興味を持っていたピカソは、道化師(アルルカン)に扮した子どもたちをたくさん描いています。
闘牛を愛したピカソは、闘牛士をテーマにした多くの作品を残しています。
1930年代には、実験的にストライプを用いた多くの作品を残しました。
スペイン内乱から第2次世界大戦にかけて、ピカソは「ゲルニカ」始めファシズムや抑圧へ抗議する作品を発表し続けています。窮乏や死を感じさせる暗い歪んだ内面をあらわす作品を多く世に送っています。その姿勢は死ぬまで変わらないものでした。
ピカソは、著名な名画を独自の解釈手再構成しています。ベラスケスの書いた「ラス・メニーナス」を模写(?)した作品も有名ですが、マネの名画「草上の昼食」も再解釈に取り組みました。
1961年以降、ピカソは南仏で過ごし、その力強いタッチは後世の画家に大きな影響をあたえました。
1973年4月8日に永眠しています。享年91歳でした。
またはピカソは1901年から多くの多くの展覧会を開催し、そのポスターが世界中にあふれていました。