コロンビアで知られざる湯滝を発見!豪快な野湯「セタキラの湯滝」
2024.4.1
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中国温泉博物館? ほとんどの人は耳にしたことがないかと思います。そもそも「中国に温泉があるの?」といった反応が多いかもしれません。あまり知られていませんが、中国には7000を超える源泉があります。おそらく源泉の数が世界最多の温泉国ですが、未開発の野湯が多く全容はよくわかっていません。中国温泉博物館は内モンゴル(内蒙古)自治区のアルシャンにあります。アルシャンは温泉で有名で、かつては中国東北部の「5大温泉」のひとつに数えられたほど。今回は、歴史の面影を残すアルシャンへの旅を紹介します。
目次
はじめに今回の舞台であるアルシャン温泉の説明に入る前に、5大温泉について触れていきます。
1932年、日本は現在の中国東北部にある遼寧(りょうねい)省・吉林(きつりん)省・黒竜江(こくりゅうこう)省、そして内モンゴル自治区の一部が含まれる地域に満洲国を建国させました(※)。1945年に日本が引き上げるまで、多くの日本人がこの地域に移り住み、温泉を「発見」しました。もちろん、以前から地元の人々が利用していた温泉が大半ですが、短い期間に日本人は浴場や宿泊施設を次々と建設しました。
国といっても日本の傀儡国家であり、国際的には承認されていません。また、中国では歴史的な文脈で満洲国に触れる場合は、「偽満洲国」と表記しています。
なかでも開発の進んだ遼東半島の「湯崗子(とうこうし)」、「熊岳城(ゆうかくじょう)」、「五龍背(ごりゅうはい)」は「3大温泉」と称されるほどの人気でした。文豪の夏目漱石や歌人の与謝野晶子らが訪れて、温泉の滞在記を残しています。その後、「興城(こうじょう)」温泉と「アルシャン」温泉を加え、5大温泉と呼ばれるようになりました。このうち4つは日本から近い遼寧省にあるのに対し、アルシャン温泉だけは遠く離れた内モンゴル自治区にあります。
筆者がこれらの温泉に興味を持ったのは、この東北部エリアにあるといわれる約30ヵ所の温泉リストを見つけたのがきっかけです。
半数ぐらいの温泉には簡単な解説文があったのですが、残りは温泉名と大まかな住所しかわかりません。俄然、興味が湧いて、数回に分けてリストにある温泉を実際に探し歩いてみました。手始めは近場の遼寧省です。成田から玄関口の大連まではわずか3時間のフライトなので、短い休暇でも旅することができます。
やがて、中国東北部の奥へ奥へと旅するようになり、最後に残ったのが最奥のアルシャン温泉です。ネットで検索すると「中国温泉博物館」なる立派な写真が見つかりますが、はたして入浴施設なのか、入浴施設ならばなぜ博物館と名乗るのかがわかりませんでした。
「それなら、現地で確認してみよう」と、アルシャンへの旅に出発しました。
観光の起点は、内モンゴル自治区のフルンボイル(ハイラル東山)空港です。その名称通り、フルンボイル市のハイラル区にあります。日本から北京に到着したあと、国内線に乗り換えれば2時間20分で着けます。北京に1泊して翌朝のフライトを利用し、昼前に到着しました。
公共交通機関で回るのは難しいエリアなので、事前に日本語が話せるドライバー付きの専用車を手配しました。現地の旅行会社に問い合わせると、「ロシアやモンゴル国境に近いため、日中戦争時の戦跡巡りという需要がある」そうで、「数名の日本語ガイドがいる」との返事でした。出迎えてくれたガイド、白さんとふたりで3日間の旅に出発です。「もう長いこと、ガイドをやっているが、温泉巡りというリクエストは初めてです」と笑顔で握手を求められました。
空港を少し離れただけで大草原が広がります。空は高く広く、青々とした草原がどこまでも続きます。時折見かける遊牧民の移動式住居(モンゴル語でゲル、中国語でパオ。漢字で「包」と書きます)はモンゴル草原のイメージそのものです。
アルシャン市は空港の南300kmにあり、車で4時間半かかります。夕刻に市内に到着して、この日の予定は終了です。
アルシャン市に到着し、さっそく中国温泉博物館へ向かいます。まわりは丘陵地帯で、ごくごく普通の平地の中に、立派な建物が忽然と現れます。
館内に入ってみると中は温室のようで、亜熱帯の樹木が生い茂っています。日本でかつて流行ったハワイアンセンターやジャングル風呂の趣きで、水着を着用して男女一緒に浸かります。中国の田舎では男女別に裸で浸かる浴場をみかけますが、ここにはありません。広々とした館内には20を超える浴槽があります。すべてが源泉の湧く場所に浴槽を作った「足元湧出湯」であると紹介されています。
なかにはかなりぬるい浴槽もありますが、温室の中なので寒くはありません。風情はあまりありませんが、冬でも楽しめる温泉として親しまれています。地元の人や中国人、ロシア人の旅行者が楽しそうに浸かっていました。
筆者は、次から次へと浴槽を移動して入浴してみましたが、どれもニオイや色はなく、体感的には温泉かどうかもわかりません。ただ、はるばるやってきて入浴し、温泉リストを制覇した喜びに浸りました。白さんに聞くと、「日本人をこの施設に案内したのははじめて」とのことでした。
ここで、アルシャンと中国温泉博物館の歴史について振り返ってみましょう。
出典:木場一夫、興安北省ハロン・アルシャン温泉とサラサナメラに就いて、満州帝国国立中央博物館論叢、第4号、康徳9年(昭和17年、1942年)
1921年、モンゴル人民共和国(モンゴル国)が独立しました。ソ連の支援を受けて生まれた第2の社会主義国で、中国領の内モンゴル自治区の北に位置します。アルシャンからモンゴル国の国境まではわずか15kmしかありません。そのため、当時このエリアではソ連と国境線を巡る争いが絶えませんでした。国防上の重要地点であったため、鉄道建設を急ぎ、1937年にアルシャンまでの鉄路を開通させました。
国境防衛の地としてにわかに繫栄することになったアルシャンには、昔から温泉が湧いていました。48ある源泉井戸の大半は300m×50mの範囲に集中しています。温泉好きの日本人がこれを利用しない手はありません。鉄道の開通と合わせて、宿泊施設、温泉浴場、療養所などが建設されました。
戦後は中国人によって温泉の維持・管理が行われました。中華人民共和国が成立した翌年の1948年には人民解放軍によるアルシャン温泉の建設が始まっています。
アルシャン温泉の湯量は豊富ですが、高温の源泉は少なく、ほとんどは20~30℃台です。1年の半分近くが氷点下という厳しい地域ですので、短い夏の間しか温泉を楽しめません。このため、居住者や観光客が年間を通して楽しめるように、源泉の湧くエリアをすっぽりと巨大な建物で覆ってしまったのです。いかにも中国らしい大胆な発想ですが、それが2004年に完成した中国温泉博物館です。
さて、実際に訪れてみて入浴施設であることはわかりましたが、なぜ博物館という名称がついているのでしょうか。
答えは浴槽のプレートにありました。源泉の番号、源泉名(効能)、湯温、主要成分などを記したプレートが各浴槽の脇に掲示されています。「神経官能泉:32号線、33.6℃」、「気管炎泉:28号線、37.2℃」、「頭痛泉:44号泉、22.5℃」といった具合です。
偏硅酸(メタケイ酸)、氟(フッ素)、鋰(リチウム)、鍶(ストロンチウム)、氡(ラドン)といった書き方は、日本の分析表とずいぶん異なります。興味を持って中国語の周期表を調べてみたところ、大半の元素名に見たこともない漢字が割り当てられていました。
浴室の隅に飲泉場があり、1、2、3、4、5、16号の6種の源泉を楽しめます。それぞれ健胃泉、健肝泉、健心泉などと、どのような症状に効果があるかがプレートに記されています。係員が配布してくれる紙コップに温泉水を注いで味を比較したり、気になる体の症状に合わせて温泉水を選んだりすることができます。
この建物の中には、昔からこの地で知られていた48源泉の大半があり、比較しながら入浴や飲泉を楽しめるため、温泉博物館と命名したようです。本当にそのような効能の違いがあるのかは不明ですが、おもしろい趣向と割り切れば、楽しく過ごせます。実際に飲み比べてみたところ、温度の違いくらいしかわからないのですが、どこか具合が悪いのか、真剣に飲んでいる中国人もいました。