
コロンビアで知られざる湯滝を発見!豪快な野湯「セタキラの湯滝」
2024.4.1
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ここからは、アルシャン市内の景観から歴史を辿ってみましょう。
アルシャン市内にはかつての満洲国時代の遺構が数多く残っています。1937年建造のアルシャン駅舎は今でも現役です。堂々とした外観で、内モンゴル自治区の重要文化財に登録されています。中国人にも人気で、毎年多くの観光客が訪れるとのことです。
その後、鉄道が延伸したため、終着駅としての役割を終えましたが、機関車が終点で向きを変えるための転車台が残っています。驚いたことに90年近くが経った今でも、手で押すとスムーズに回転します。当時の技術力の高さが伝わる遺構です。1934年に建てられたアルシャン温泉ホテルの建物も保存されていました。
アルシャンから北へ向かうと、ハルハ川の眺めが美しい場所を通過します。戦史に関心のある人なら、ピンとくるのではないでしょうか。
ここは、満洲国・日本軍とモンゴル・ソ連軍が国境画定を巡って戦ったノモンハン事件の争奪地です。第2次世界大戦直前の1939年5月に始まった激しい戦闘で日本軍は大敗しましたが、敗戦の情報は厳しく統制されたため、ほとんどの日本人は当時知らされませんでした。
アルシャンの北西120kmのノモンハンの町には「ノモンハン戦争陳列館」があります。戦闘の詳細を記した地図や武器などの陳列品、満洲国の境界を示す石碑などに交ざって、日本兵が読んでいた書籍なども展示されています。
白さんの話では、「以前は多くの日本人が慰霊を兼ねて訪れたが、年々減る一方」とのこと。屋上は展望台を兼ねていて、はてしない草原に点在するパオや旧式の戦車群、羊の放牧を眺めることができます。アルシャンまで来たのであれば、ぜひ立ち寄ってみたい施設です。
旅行中は白さんと一緒に食事をとりましたが、特にフルンボイル草原の一部である七仙湖草原での昼食が印象的でした。厨房は大きなパオの中にあり、食事は別のパオの中でとります。内モンゴルでは羊料理が中心ですが、特にクセはなく、おいしく食べられるように調理されています。どれも大皿で提供され、取り分けて食べます。2~3種類のおかずと白米(または麺)を頼めば、食べきれないほどの量になります。
なお、白さんは遊牧民の出身で、両親は今でも遊牧生活を送っているとのこと。広い草原には目印が少ないため、実家に帰省するときは場所の特定が大変だそうです。最初にパスポートを作るときも苦労したとか。遊牧民だったので、生まれた場所がわからず、出生届もありません。村長が遊牧民であることの証明書を発行してくれて、ようやく取得できたそうです。
北京や上海を旅するのとは、まったく違う中国の一面を垣間見ることができる旅でした。
1930年代から1940年代にかけて、現地に移り住んだ日本人は短い期間に30を超える温泉を開発し、記録を残しました。筆者がそのすべてを訪ねてみたところ、80年近くが経った今でもひとつ残らず現役で、中国の人たちに利用されていました。なかには情報がほとんどなく、見つけるのに苦労した温泉もありますので、ぜひ別の機会に紹介できればと思います!
温泉名 | 住所 | URL(Trip.com) |
湯崗子(とうこうし)温泉 | 遼寧省鞍山市千山区 | https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/anshan/tanggangzi-hot-spring-79873/ |
中国温泉博物館 | 内モンゴル自治区興安盟アルシャン市 | https://jp.trip.com/travel-guide/attraction/aershan/wenquan-museum-of-china-13407599/ |
新型コロナ禍以降、中国は日本人観光客に対するノービザ入国制度を再開していません。実際に訪れる場合は、最新の状況を確認してください。
監修:地球の歩き方