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今回の執筆者:独立行政法人 国際協力機構(JICA)
社会基盤部都市・地域開発グループ第3チーム 光畑梢
「地球の歩き方Web」愛読者の皆さん、こんにちは!
皆さんは、ボスニア・ヘルツェゴビナという国を訪れたことはありますか? サラエボ事件や1990年代のユーゴスラビア紛争など、負の歴史として教科書で見た記憶があるかもしれません。しかし実際には、豊かな自然、おいしい食文化、そして多様な民族と宗教が共存する温かな国でもあります。本記事では、ボスニア・ヘルツェゴビナの魅力と、JICAがこれまで行ってきた復興支援についてご紹介します。
国名のとおり、国内は北部の緑豊かな「ボスニア」と、地中海性気候で乾いた南部の「ヘルツェゴビナ」というふたつの地域から成り立っています。
この国には、
イスラム教徒の ボシュニャク人
セルビア正教の セルビア人
カトリックの クロアチア人
という3つの民族が暮らしており、宗教や文化が異なる人々が、ひとつの国で共に生活している点が大きな特徴です。1990年代の紛争を経て、現在はおもにボシュニャク人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人で構成される「スルプスカ共和国」というふたつの行政主体で構成されています。複雑な歴史を辿ったからこその政治体制というわけです。
首都サラエボには、オスマン帝国時代の町並みと、オーストリア=ハンガリー帝国の建築が並ぶ旧市街が広がり、散策がとても楽しいエリアです。
ここでぜひ味わってほしいのが、旧ユーゴスラビア全域で愛される名物料理、チェバピ。スパイスの効いた小さなソーセージをふわふわのパンで挟んで食べる一品で、「チェバピはボスニア・ヘルツェゴビナが一番おいしい!」と近隣国の人たちも口をそろえるほどです。
続いて食べたいのが、サクサクの渦巻きミートパイ、ブレク。さらに余裕があれば、外はカリッ、なかはふわっと温かい揚げパン、ウスティプチ もおすすめ。干し肉を添えて食べると絶妙です。
これらはすべて、サラエボ旧市街の中心部、バシチャルシアで気軽に楽しめますので、ぜひ食べ歩きを!
ボスニア・ヘルツェゴビナを知るうえで、紛争の歴史は避けて通れません。サラエボ市内には、当時の生活を伝える博物館がいくつもありますが、特に心に残るのが 「子ども戦争博物館」 です。
紛争下で子どもたちがどのような日常を送り、どのような記憶を胸に生きてきたのか。思い出の品とともに展示されており、政治的な歴史とは別の、“市民の視点” から紛争を理解できる貴重な場所です。
展示されているエピソード集は日本語訳も出版されています。興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。ぼくたちは戦場で育った | 集英社インターナショナル 公式サイト
1995年に停戦が成立して以降、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、生活インフラの復旧と民族融和というふたつの大きな課題がありました。
停戦から約10年、JICAは医療機関への機材供与、電力や道路・橋梁といったインフラの復旧などに協力。30年近くが経った今もなお、「日本の橋(ヤパンスカ・モスト)」と呼ばれる橋や、日本が供与した黄色いバスが町なかで活躍しており、支援の人々の生活の一部として機能しています。
その後は支援がインフラの復旧から、農業・スポーツ・地域開発など、異なる民族の信頼づくりを目指した技術協力に移り変わりました。さらに2020年代には、交通渋滞や大気汚染の改善を目的とした都市交通調査や、自然災害への備えに関する協力も行っています。
復興支援のひとつのあり方として、ライフラインを整えるだけでなく、「自分たちの暮らす地域を好きになり、よりよい社会をつくる人材を育てること」が目指す支援のかたちなのかもしれません。
自然豊かで食べものがおいしく、素朴で温かい人々が暮らすボスニア・ヘルツェゴビナ。ヨーロッパのなかでは少し目立たない存在かもしれませんが、町を歩けば、歴史と復興のストーリーが確かに息づいています。
東ヨーロッパを旅する機会があれば、ぜひボスニア・ヘルツェゴビナにも足を延ばしてみてください。きっと心に残る旅になるはずです。
2026年5月現在、ボスニア・ヘルツェゴビナの一部地域にレベル1の危険情報が発出されています。渡航の際は、必ず最新情報を確認してください。