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▲10月31日ハロウィンの夜9時ユニオンSQ
今年のハロウィンは日曜日だったので、金曜日は、子供達が思い思いのコスチュームで登校してました。ただし、過激すぎると"イカゲーム(Squid Game)"のコスチューム禁止という学校もあったようです。土曜日の夜には、カストロ地区でブロックパーティーがありました。前夜祭として盛り上がったのかもしれませんね。ハロウィン当日、カストロ地区に様子を見に行ってきました。
でもどうしてここが、こんなに盛り上がるのかも不思議ですね。
▲マーケット&カストロの交差点
ミュニメトロ・カストロ駅を降りると、ゲートウェイバーで有名なツインピークス(Twin Peaks Tavern サイト)前は、仮装した人、人、人でした。この夜は少し暖かったので、ほぼ生まれたままの姿の人も!"見えない"コスチュームだそうですよ。
▲警察官
一歩下がり、笑顔で見守る警察官。
今では、およそ想像もできませんが、1970年代頃まで、LGBT(同性愛者)と、警察+アルコール飲料管理局(通称ABC)は、敵対関係にありました。同性愛者(と判断された)ということだけで罪になった時代。同性愛者にお酒を提供した罪で営業停止になり、お酒の販売権を剥奪されたりしていました。例えば、一斉捜査(囮捜査もあり)で、ゲイバーにいたお客全員を護送車で連行。翌日の新聞に氏名を公表され社会的立場は抹消。同性愛は"悪"とみなされた暗黒の時代がありました。同性愛者と判断されると仕事、友人、家族まで失う時代でした。
サンフランシスコには、沢山アイルランド系移民が住んでいます。
ご存知の方も多いと思いますが、ハロウィンの起源は、アイルランドの新年のお祝いでした。夕方から始まる祝日"ハローイブニング"それがハロウィンと言われるようになります。その夜は、悪霊もきたりするので仮装して追い払ったりしていたのが、徐々に仮装した祝い事になり、大人がコスチュームを着てパーティを開いたりと発展しています。サンフランシスコ市も伝統的なアイルランドのお祭りには、大変協力的でした。一方で、危険な職務でもある警察官は、アイルランド系の方が多かったといくつかの資料にありました。
サンフランシスコは、第二次世界大戦中、太平洋戦域の主要な港でした。
軍によって同性愛者と判明、判断された場合、サンフランシスコに戻されました。不名誉除隊で故郷にも帰れず、職にも就けず、この地に留まるようになります(一説には数万人の不名誉除隊者がサンフランシスコにいた)
違法なバーの取り締まりや摘発は、警察官が当たります。
労働者階級のアイルランド系方達が多く住んでいたカストロ地区に、"クリフズ(Cliff's Varityサイト)"という老舗のバラエティショップがあります。カストロ地区のハロウィンの始まりは、アイルランド系移民のクリフズの店主が、子供たちのためのイベントで、最後はコスチュームコンテストがあり店主も審査員。1960年代までは大人と子供は一緒に参加していて地域みんなで楽しむハロウィンで警察沙汰になる事はありません。
*1970年代ゲイの方が住み始めるようになっても、フレンドリーな雰囲気があるのはクリフズのおかげかもしれませんね。
考察
前からハロウィンはゲイの方達にとって大きなイベントだったのですが、1970年代までは、明らかにタブー視されていた同性愛者の皆さん。警察官もアイルランド系の方が多かった。不名誉除隊のレッテルを貼られた人も住んでいた。アイルランドの民族的なお祭りは、子供も含めて故郷の伝統的祝日を祝っている。休暇を願う職員もいたでだろう、当局は手薄になるのは想像できます。市内各所でハロウィンのイベントやパレードがあったその日、皆がマスクや仮装して、仲間同士堂々とパーティができたが、ハロウィンです。
ドラッグクィーンとして、活動家として名を馳せていたホセ・サリアさんへ、
ハロウィンの日は警察署長からこんな言葉が届きます。「今夜は貴方たちの夜です、思いきり楽しんでください」日付が変わる瞬間まで、マスクをつけた同性愛者の皆さんは、摘発の心配もなくパーティ、パーティ、パーティ三昧だったのです。
全米のLGBTQのコミュニテーでそれぞれ少し背景が違うかもしれません。何故カストロ地区がこんなに賑わうのか?少なからず聞いてはいましたが、今回は、生前のホセ・サリアさんを知る世代の方から、カストロでツアーをされている方からもヒントやコメントを頂戴し考察してみました。
〜お話を聞かせて頂きありがとうございました〜