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ボンジョルノ~北杜・山梨特派員の水月です。
「山梨特派員ローマへ行く~2022年秋」シリーズ5回目は「アッピア旧街道巡り」です。
「女王の道」とも呼ばれた「アッピア旧街道」は、ローマで最初に敷かれた「執政官道路」です。ローマ人の知恵を結集して造られた、排水設備を備えた完全舗装の2車線道路。これが紀元前3世紀に築かれたなんて、驚くばかり。
バスと歩きで、古代ローマの面影が色濃く残る街道をたどってみました。
バスで「カラカラ浴場」まで行き、そこから「アッピア旧街道巡り」をスタートしました。
ところが、です。初っぱなから、この「カラカラ浴場」の広さ、大きさに圧倒されてしまいした。ここで1日過ごしてもいいと思ってしまうほど、魅力的な場所だったんです。
カラカラ帝により、2世紀に造られた「カラカラ浴場」は、お風呂だけではなく、更衣室はもちろん、トレーニングのためのアスレチック施設や、今でいうサウナまであり、まるでスポーツジム付きのスーパー銭湯のよう。
いえ。お風呂はアートに囲まれ、手入れされた庭を歩いたり、会議や講演を聴く広間もあって、スーパー銭湯どころではない大規模娯楽施設だったのだと思います。
人が写り込んでいると、大きさがよくわかりますね。
当時のモザイク画がいくつも残っているほか、床に敷いた幾何学模様の4色で彩られたモザイクなど、広大な遺跡のなかの細部にも興味深く目を留めて歩きました。
映画『テルマエロマエ』を思い出さずにはいられませんが、古代ローマでこんなに大きな浴場施設を造ろうと思ったカラカラ帝って、いったいどんな人だったのでしょうね。
さて。石畳が敷かれたアッピア旧街道を歩き始めると、10分ほどで「サン・セバスティアーノ門」に到着します。
ここから2分ほどでしょうか。120mくらい歩くと、右側にマイルストーンが残っているはずです。探してみましょう。
ありました!
起点からの距離がわかるように、当時は1マイル(1,609m)ごとに、こういったマイルストーンが置かれていたそうです。
ですが、歩いた場所には、これ以外には見つけられませんでした。
さらに歩くと通称「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」があります。正式名称は「サンタ・マリーア・イン・パルミス教会」です。なぜ通称で呼ばれているかというと『地球の歩き方・ローマ』から引用してみましょう。
伝説によれば、使徒ペテロが迫害の激しいローマを去っていく途中この地に差しかかると、彼の前にキリストが現れた。「主よ何処へ」Domine quo vadis? との問いにキリストは「ローマへもう一度十字架にかかるために」と答え、ペテロはすべてを悟ってローマへ引き返し、逆さまにされ磔にかかったといわれている。
その地が、この場所だったそうです。ペテロの問いが、教会の名前になったんですね。
この教会には「キリストの足跡」が置かれています。レプリカですが、足跡に掌を重ねる人がたくさんいました。古代ローマ時代、みな旅路のぶじを願いこの足跡に手を当てて行ったのだといいます。
オリジナルは近くの「サン・セバスティアーノ聖堂」にあるそうです。
さらに進むと、「マクセンティウスのヴィッラ」があります。このヴィッラの競技場は、現存する古代ローマの競技場でもっとも保存状態がよく、「チルコ・マッシモ」に次ぐ第2位の大きさだといいます。
とはいえ、この競技場、ほとんど使われたことがないそうです。(一度だけ使用されたとか、一度も使われていないとか言われています)
けれど、青空が広がるとても気持ちのいい場所で、草萌ゆる緑の地面を歩いていると、古代ローマへと時間を巻き戻したような気持ちになるから不思議です。アッピア旧街道を歩いたら、ぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。
写真左側の大きくランダムに石を埋め込まれた石畳が、当時のものだそうです。
この上を走る車は、現代ではガタンゴトンと大きく揺れ、走り心地がいいとは言えません。それでも紀元前3世紀には画期的な舗装道路だったのだと思います。
古代ローマ時代に、どうしてここまでの道を造ることができたのか、想像もつきませんね。
レンタサイクルで走る人も多い道ですが、車はそう広くない道をかなりのスピードで飛ばしていきます。その上足もとは平坦とは言えない石畳。自転車にそうとう自信のある人でなければ、おすすめできないなあと実感しました。
「アッピア旧街道」は、ここから長く長く、イタリア半島のかかとにあるブリンディシ港まで延長され、東方支配の拠点となった港町とローマを結ぶ生命線となったそうです。
バスで、歩きで、レンタサイクルで、あるいはレンタカーで。どこまで行くかも自由です。
体力や体調、お天気などと相談しながら、紀元前3世紀に造られた石畳の道を歩いてみませんか。
古代ローマの風を、身体じゅうに、そして心深く感じられると思います。