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サローム(こんにちは)!
ほぼ唯一の取り柄である無駄に軽いフットワークを生かし、タシケント・サマルカンド駐在中にウズベキスタンのほぼ全土を駆け回った筆者。一般旅行者が訪れる機会がないであろう都市や地域にも立ち入ることができ、国内全州での宿泊を果たすという偉業(?)も達成しました。
ただ離任が近づく中、最後に行っておきたかった場所があります。それがかつて世界4位の面積を誇ったという巨大な湖、アラル海。この湖はウズベキスタンとカザフスタンの2か国にまたがっており、ウズベキスタンからだと自治共和国カラカルパクスタンの首都ヌクスからツアーに参加して行くことができます。少数民族カラカルパク人が多く住むこのカラカルパクスタンはウズベキスタンの西の果てにありますが、アラル海へはヌクスから4WDに乗って道なき道をたどって行くそうで、まさに国土の果ての果て。このツアーではアラル海の他にも大自然の絶景が見られるスポットに立ち寄るそうで、ツアーに申し込んだときから高鳴る期待が鳴り止みませんでした。
結論から言えば期待以上の満足度で、まさに私のウズベキスタン旅人生のハイライトと言える経験になりました。私の誘いに応じてくれた在ウズベキスタン邦人の知人7人と参加したこのツアーの模様を、この記事でお送りします。
ツアー日程はヌクスを朝に出発していくつかの見どころに立ち寄りつつ、夜にアラル海近くのユルタキャンプ泊、翌朝も同様に朝にキャンプを出て見どころを経由、夕方にヌクスに帰着、というもの。距離もさることながら、先述のように道も悪路となるハードなツアーです。今回のツアーメンバーは私以外全員タシケント在住で、私を含む5人は夜行列車でヌクス入り、3人は国内線でヌクス空港着。飛行機勢がヌクス空港に着くのは朝9時でしたが、これでもツアーに間に合うとの話でした。
2台の4WDに分乗し、まず向かったのはヌクスの隣町ホジャイリにあるミズダハン廟群。ここはさまざまな時代のお墓が集まっている墓地ですが、その規模は見る者を圧倒するもの。ひとつの丘がまるまる墓地になっているのです。その頂上にはゾロアスター教が信仰されていた時代に鳥葬が行われたと伝えられており、ここからおびただしい数のお墓が並ぶ墓地を一望できます。
この墓地は昔活躍した聖人から一般人までありとあらゆる人々が埋葬されており、中でも青のタイル装飾が印象的な地下にあるお墓マズルムハン・スル廟はぜひ訪れたいところ。一般人のお墓もドームに覆われた立派なものが多く、ぜひじっくり観察してみたいものです。
ここから車は一路北へ向かいます。ランチ時にムイナクの町へ到着。民家で昼食をとった後、この町にあるカラカルパクスタン最大の名所へ向かいます。それが砂漠の中にたくさんの錆びた船が鎮座している、通称「船の墓場」。その様はまるで現実離れしたような眺めで、何ともシュール。まるで秘密基地のごとくこの船の中に入って写真を撮ることもできます。
ここはガイドブックにも掲載されており、ここまでなら公共交通機関でのアクセスもできるため、ヌクスから日帰りで訪れる旅行者も大勢います。
なぜこの船は水の上ではなく砂漠に放置されてしまったのでしょうか?それを知るにはアラル海の悲しい歴史を学ぶ必要があります。冒頭に述べたようにかつて世界4位、琵琶湖の100倍もの面積を誇っていたアラル海ですが、ソ連時代に状況が変わります。このアラル海には中央アジアの二大大河、シルダリヤとアムダリヤが流れ込んでいましたが、主に綿花栽培を促進するため中央アジアの大地でこの2つの川を利用した大規模な灌漑が実施され、川の水量は日に日に減っていきました。当然その影響はこのアラル海に及び、湖は急激に干上がっていくことになったのです。1960年代からの半世紀で湖の面積は5分の1になったとされ、このアラル海問題は20世紀最大の環境問題といわれるようになります。
ここムイナクは、かつてアラル海に面した漁業の町でした。しかし1日に数十メートルから数百メートル後退したといわれるほどの湖水の急速な干上がりに直面し、さらに水分の蒸発に伴う塩分濃度の上昇で魚も死滅したことで漁業を営むどころではなくなってしまいます。結果としてかつてこの町で活躍していた船が干上がった土地に残り、無残な姿をさらしているのです。
船の墓場に隣接する博物館では、この町がかつて港町として栄えた様子を映像や史料で確認することができます。来館者が来ると流してくれるビデオでは、漁船がたくさん港に停泊し、大量の魚が水揚げされる様子を見ることができますが、この港町の面影は今この町のどこにも残っていません。このとき働いていた漁師たちは、今どこで何をしているのでしょうか…。
現在この町はエコツーリズムの拠点として整備が進められているようで、空港も建設されヌクスから国内線が就航しているそうです。
私たちはこれから、この縮小を続けるアラル海が最後まで残した水を求めて砂漠を突っ走っていきます。ムイナク近辺ではまだ道が整備されていますが、運転手のアスファルト・フィニッシュ!との宣言を合図に舗装のないダートに。以降、翌日まで舗装した道路を見かけることはありませんでした。砂地に残された轍だけを目印に車を走らせていきますが、並大抵の運転手でなければ道に迷ってしまうはずです。
そうこうしているうち、遙か彼方の地平線に沿って何かがぼんやり広がっているのが見えてきました。ついにアラル海か…?しかし近づいていくとその正体が判明しました。どこまでも広がる砂漠が盛り上がって形成された、広大な台地だったのです。これが2億年前にできた巨大な海洋テチス海が隆起してできたとされ、ここからカザフスタン西部にまで広がっているウスチュルト台地。
台地上はまったく高低差がなく、ひたすら平らな土地の中を進み、車のスピードも一気にアップ。360度遮るものがない全くの平面の中を、砂埃を巻き上げながら走っていきます。他のツアー車両も併走してきましたが、万一車が故障した際遭難するのを防ぐためでしょうか。ここは我々旅行者のほか人の気配が全くなく、電波も入らない未開の地なのです。
台地を走り続けて約2時間、ついに崖下にアラル海が見え始めました。その青さに一同驚くばかり。アラル海は現地語でも湖ではなくて海と呼ばれていますが、たしかにこれは紛れもなく海のように見えます。ガガーリンが地球は青かったという名言を残したならば、私たちもアラル海は青かったという名言を残すことにしましょう。
ウスチュルト台地を下り、ついに湖畔へ。アラル海は今なお縮小を続けているとはいえ、まだこんなにも水が残っているとは…。波打ち際にはふわふわの波の泡、「波の花」が打ち上げられていました。暑い時期は泳ぐことができ、中東の死海のようにぷかぷか浮かぶこともできるそうです。
20時頃にようやくユルタキャンプ着。私たちが泊まるユルタキャンプはアラル海とは少し離れた、ウスチュルト台地中腹の高台にありました。ユルタとは中央アジアの遊牧民が使用する移動式住居で、サマルカンドやブハラに近いアイダルクル湖近くにもユルタキャンプサイトがあります(152. ウズベキスタン旅行の新定番!?砂漠の町ヌラタを起点にアイダルクル湖で湖水浴とユルタ泊のアドベンチャー体験を)。
立地が立地だけあって、深夜は電気が止まる、シャワーは水シャワーなど不便なところもありますが、概して満足できる滞在でした。油少なめのカラカルパクプロフを中心とした食事も美味しく、ツアー代は含まれませんがビールも飲むことができます。Wi-Fiは使えませんが、強制デジタルデトックスができるとプラスに捉えましょう。
このユルタキャンプ滞在中に一番楽しみにしていたことが、星空を眺めること。この日は新月ということもあり、天の川や流れ星もはっきり見える期待以上の星空を眺めることができました。ユルタキャンプの裏の丘には、星空を眺めてくださいと言わんばかりにベンチが置かれていましたが、この丘に登っているときはまるで自分たちがそのまま星空に向かって歩いていくように感じられました…。
私たちのツアーには、翌朝ドライバーが日の出スポットに連れて行ってくれるプログラムが含まれていました。5時に起床し、まだ暗い中ドライバーの運転に身を任せます。この時期は9月上旬でしたが、このときの気温は一桁台という寒さ。私は長袖シャツとセーターと薄めのコートを着込みましたが、それでも耐えられないほどでした。
日の出スポットは、ウスチュルト台地の崖がそのままアラル海に落ち込んでいくという場所。台地の地層は美しい色に染められ、足下の地面は干からびてひび割れていました。
6時頃、アラル海から日が昇ります。少し雲がかかっていましたが、それはそれは幻想的な光景でした。
ユルタキャンプは高台にあるので、ここからもアラル海から昇る日の出を眺めることができます。昨日昇った星空の丘が、朝になると最高のアラル海展望台になるのです。
この日は昨日通った道なき道を引き返していきます。人の気配が全くなかったウスチュルト台地ですが、唐突に村が現れました。ここはウスチュルト上のコムソモリスクという意味の、コムソモリスク・ナ・ウスチュルテという村。かつては住民がいたものの、今住んでいるのは近くのガスプラントで働く従業員のみとのこと。
そしてここにはかつて空港があり、今でも滑走路跡が残っています。空港が稼働していたときは、何とここからタシケントやロシアへ向かう飛行機が発着していたそう。
さらに今までずっと干上がって荒れ果ていたはずの地に、急に湖と湿原が出現。渡り鳥の飛来地になっているというスドーチー湖です。
最後に訪れる見どころも湖になります。湖といっても普通の湖ではなく、塩湖。現地の言葉で「行ったら帰れない」という恐ろしい名前を持つ、バルサケルメス塩湖です。
私が行った時期は水がなくただ真っ白な大地になっていましたが、崖を下って行くことになるので車は塩湖上に入ることができず、歩いて行くことになります。ウズベキスタンのウユニと呼ぶにふさわしいこの塩の大地では塩の採掘も行われ、貨物列車でさまざまな場所に運ばれていくそうです。
あとはひたすらヌクスを目指すのみ。ヌクス市内に着いたのは18時、ユルタキャンプを出てから9時間が経っていました。2日間の移動時間は約20時間、まさにアドベンチャーツアーと呼ぶにふさわしいツアーが終わりました。
最後に立ち寄ってくれたのはお土産屋。私は以前ヌクスを訪れた際購入したカラカルパク民族模様Tシャツを着ており、さらに行く先々でカラカルパクスタン国旗(正式な国でもないのに国旗と呼んでいいものか…)やミニチュアユルタを買っていきましたが、これらがこのツアーでうまく写真映えし、同行者も欲しがったのです。ツアーに参加する方はぜひドライバーに頼んで最初にお土産屋に寄り、これらの撮影用小道具(?)を揃えておいてください。
ウズベキスタン最果ての地でめくるめく現れる大絶景に圧倒され、予想をはるかに超える満足度だった今回の旅。このアラル海1泊2日ツアー、国内の主要な旅行会社ならどこでも催行しているようですが、私はサマルカンドの日本人経営ツアー会社SRP TRAVELに手配を依頼しました(89. 日本人・ウズベク人夫婦経営のカフェ Ikat Boutiques Cafeはサマルカンド旅の心強い味方)。
また下記私の個人ブログでは、このツアーの詳しい行程や出来事などを綴っています。ご参考になれば幸いです。
新・ウズ隊員生活 W97(9/2-9/8)【旅仲間ご来訪/ユルタに泊まるアラル海・ウスチュルト台地1泊2日ツアーetc】 – takumiの世界ふらふら街歩き
それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!