• Facebook でシェア
  • X でシェア
  • LINE でシェア

【アメリカ】歩いて知る、もうひとつのサンフランシスコ・テンダーロインの歴史

美丸(Mimaru)

美丸(Mimaru)

アメリカ・カリフォルニア州特派員

更新日
2026年10月30日
公開日
2026年10月30日

サンフランシスコのテンダーロイン地区。路上生活や薬物問題の報道で知られる一方、ここにはジャズの名演、LGBTQ+の権利運動、東南アジアから来た人々の暮らしなど、歴史が幾重にも重なっていました。実際に歩いてみると、緊張する場面もあれば、思いがけない出会いもありました。今回は、歴史をたどりながら見えてきた、もうひとつのサンフランシスコの紹介です。

AD

①震災後の街が育てた、音楽と自由

  • テンダーロイン地区から見上げるノブヒル地区
  • 暴動を記憶する「Gene Compton's Cafeteria Way」の標識

1906年のサンフランシスコ大地震と火災の後、テンダーロインには住宅や簡易宿泊所のSRO(Single Room Occupancy)が建ち並び、一人暮らしの労働者や低所得者など、さまざまな人々が暮らす街になりました。ターク通りを歩くと、「ホテル」や「アパート」の看板を掲げた築100年以上の建物が目に入ります。重厚な外観は、どこかヨーロッパの街を思わせます。

*日の出前に歩いたらまだ静かかもしれないと思い、歩き始めました。少し緊張しましたが、前を体格の良い方が3人歩いていたので後にくっついて行きました。

1920年代には賭博場やスピークイージー(もぐりの酒場)、劇場が並ぶナイトライフの中心として栄えました。1949年から63年まで営業していたジャズクラブ「ブラックホーク」では、マイルス・デイヴィスらが演奏し、名盤となるライブ録音も生まれています。

*この周辺は壁に寄りかかっている人が多かったので、写真撮影は控えて静かに通り過ぎました。

1966年8月、ジーン・コンプトンズ・カフェテリアでは、警察の嫌がらせに耐えかねたトランスジェンダーの女性たちや若いゲイ男性らが抵抗しました。「コンプトンズ・カフェテリア暴動」と呼ばれるこの出来事は、ニューヨークのストーンウォールの反乱より3年早く起きた、LGBTQ+の権利運動史における重要な節目の一つです。カフェは現存しませんが、事件を記憶にとどめる通りの名前を見つけました。

*標識を撮ろうと上を向いていたら、フーディーを着て自転車に乗ったお兄ちゃんが「そのサイン、クールだろ?」って通り過ぎてった。

  • グライドメモリアル教会の日曜礼拝はゴスペルで始まり、映画『天使にラブ・ソングを…』を彷彿とさせる
  • トランスジェンダー・プライドカラーの横断歩道とWaymo。新旧の風景が交差する

②アジアの難民たちのもうひとつの故郷

ベトナム戦争終結後の1970年代後半になると、ベトナム、カンボジア、ラオスから逃れてきた難民たちが、手頃な家賃のこの地に住み始めました。この地区には子どもたちが遊べる公園が点在しています。夕方に通ると、遊具の周りから賑やかな声が聞こえてきます。子供の頃、暗くなるまで公園で遊んでいたことを思い出します。

*ボエデカー公園で写真を撮っていると、市の清掃スタッフが「何か探しているの?」と声をかけてくれました。ご飯の配給所への行き方を尋ねると、「あの人について行きなさい」と教えてくれたのです。よれたTシャツを着た男性は、テンダーロイン地区を見回るコミュニティスタッフでした。おかげで無事に目的地へ到着。ここで見た街の歴史を日本の人たちに伝えたいと話すと、返ってきたのは、まさかの日本語「アリガト」。名前を聞く前に、彼はもう歩き去っていました。街に溶け込んだ服装で、次に会っても気づかないかもしれません。一期一会。

やがて、食料品店や食堂が集まり、ベトナムをはじめとする東南アジアの食文化が感じられる「リトル・サイゴン」と呼ばれる一角ができました。地区にはモニュメントも立っています。ローカルグルメの食べ歩きも楽しみなエリアです。

セント・ボニフェイス教会

アリガトさんが連れて来てくれた。1950年ごろから無料の食事を提供してきたセント・アントニーダイニングルーム。入り口には朝食を待つ人たちの列ができていました。そのパッケージや紙コップが散らばってるそばに、凛とした姿で現れたセント・ボニフェイス教会。一瞬テンダーロインにいるのを忘れそうになりました。1860年、ドイツ系カトリック住民のために設立され、1902年に現在地へ移転。1906年のサンフランシスコ大地震による火災で被災しました。1984年には市の歴史的ランドマークに指定されています。現在も貧困や住まいの問題に直面する人々を支え、テンダーロインの「オアシス」として地域に寄り添い続けています。

*オートミールや小さなパンを美味しそうに頬張っているのを見てたら、並ぼうかと思いました。

  • ターク通りには歴史的建築物が数多く残っている。入り口の脇に完成した年と由来を示すプレートがある
  • 朝ご飯の提供時間。食事に困っている方々に温かい食事が振る舞われる

③「悪評」の裏にある、暮らしの事情

今のテンダーロインは、治安や衛生、路上生活者の多さで語られがちです。実際に歩いてみると路上で過ごす人の姿や、歩道に散らばったゴミ、吸い殻が目に入りました。SROも多く、さまざまな事情を抱えた人たちが暮らしています。街の表情は一言では語れません。それでもここは、多くの人が暮らす「生活の場」。報道で目にする一面だけでなく、そこに積み重なっている歴史や、今を生きている人々の姿を知っておかなければと思うのです。

  • 緑のおじさん。登下校の時間帯、横断歩道を見守る交通整理のスタッフ
  • 早朝は静かなボエデカー公園。夕方には遊具の周りに子どもたちの元気な声が聞こえる

思ったこと…

この地区を歩くのは少々勇気がいるかもしれません。それでも歴史を知って歩くと、同じ通りがまるで違って見えるから不思議です。古いホテルの看板、壁画、ベトナムの食文化。さまざまな風景や暮らしが重なり合っています。テンダーロイン博物館は水漏れで一時休館中ですが、再開したらぜひ行ってみたいです。

*ただし、足元にはご注意を。街歩きでは、目線だけでなく足元にも気を配りたいものです。

トップへ戻る

TOP