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南北に長いクロアチア最南部にあるドゥブロヴニクは、クルーズ船も寄港するヨーロッパ屈指の観光地。青い海に突き出た旧市街の町並みは「アドリア海の真珠」と称され、まさにクロアチア旅行のハイライト。オレンジ色の屋根がぎっしり並ぶ風景は忘れ得ぬ一幕となるだろう。市壁に囲まれたこぢんまりとした旧市街にはショップやレストランが並び、昼も夜も旅人で活気にあふれている。
スルジ山は旧市街の北にそびえる標高412mの山。山頂は旧市街とアドリア海を一望することができる絶景スポット。まずはここから星型の市壁に囲まれた旧市街の全貌を目に焼き付けておこう。スルジ山は1991年のクロアチアの独立戦争時にユーゴスラビア人民軍との激戦の舞台となった。クロアチア防衛隊が立て籠もったナポレオン時代に建てられた要塞は現在独立戦争展示館になっている。
山頂の十字架は100年ほど前に建てられたものを戦争後に再建したもの。ブラチ島の白石灰岩が使われている。ライトアップされた姿も美しく、ドゥブロヴニクを見守るかのようにたたずんでいる。
スルジ山へはケーブルカー(ロープウェイ)のほか、タクシーやレンタカーを利用しての自動車道路、徒歩の登山ルートもある。徒歩ならば旧市街がいろいろな角度で見え隠れするので、さらに景色が楽しめる。登りをケーブルカーで、下りを徒歩にするのもおすすめだ。旧市街から徒歩で登り60〜90分、下り45〜60分。
登山道はカトリックの聖地エルサレムにあるビア・ドロローサ(イエスがゴルゴダへ向かう「悲しみの道」)になぞらえた14のポイントが設定されている。それぞれにレリーフがあり、イースターには多くの巡礼者が祈りながら登山をする。
旧市街を取り囲む市壁は全長1940m、高さは最高地点で25mに達する。市壁ができたのは、町の誕生間もない8世紀のこと。ヴェネツィア共和国、オスマン帝国など周辺国からの侵略を防ぐために15世紀から16世紀にかけて大工事が行われ、現在見られる形になった。市壁の途中にはミンチェタ要塞など3つの要塞や6つの稜堡などがある。壁は陸側で最大6mという厚さがあり、堅牢さがうかがい知れる。ドゥブロヴニクは1667年の地震で旧市街の建物の大部分が崩れたが、この市壁はほとんど被害がなかったほどだ。
ピレ門とプロチェ門にはかつて木製の跳ね橋がかかっており、夜間は敵が侵入できないように橋を跳ね上げていた。現在は固定された石橋だが、ここを渡って旧市街に入ると中世の世界に迷い込んだような不思議な感覚になるに違いない。
プラツァ通りは旧市街の入口ピレ門から中心部ルジャ広場にかけて延びる200m余りのメインストリート。白い石灰岩の敷石は、15世紀以来行き交う人を支え、その靴底でピカピカに磨かれてきた。街灯に照らされる夜、雨に輝くプラツァ通りもまた風情があるもの。ただし滑りやすいので注意が必要だ。この通りにはおみやげなどを売るショップが並び、カフェのパラソルが花開く。プラツァ通りからは小さな路地が延びており、とくに北側は急勾配になっている。市壁のほうまで続く階段もフォトスポット。階段の左右にも、途中の小路にも雑貨店やレストランがあり、観光客で賑わっている。
ルジャ広場に立つオルランド像は自由と自治、独立の象徴。オルランド(ローランまたはローラント)とはカール大帝に仕えたとされる伝説的騎士の名で、自治、裁判、商業の権利をもつ人物。ドゥブロヴニクのオルランド像の右手の肘の長さは51.2cmで、ドゥブロヴニク・キュビット(肘)という長さの単位だった。像は旗立ての役割も果たしており、ラグーサ共和国の時代にはこの像の上に白地に赤でリベルタス(自由)と書かれた国旗がはためいていた。現在でもドゥブロヴニク・サマー・フェスティバルの開催時などには当時の旗が掲揚される。
ピレ門から町に入ると巨大な噴水が目に入る。1438年に12km先の源泉から町まで水を引いた導水管施設の完成を記念して作られた。噴水といっても勢いよく水が吹き上がるものではなく、周囲に設けられた16の蛇口から水が流れ出す給水施設。現在も水が流れており飲用も可能でペットボトルなどに水を汲んでいる人も多い。蛇口には人や動物などの顔が彫刻されているのがユニーク。オノフリオとはこの噴水を手がけたナポリ出身の建築家の名。ルジャ広場の南側にはオノフリオの小噴水もある。
ドゥブロヴニクの主要門近くには防衛の一端を担うため修道院が配置されていた。フランシスコ会修道院はピレ門の近くに置かれた修道院。14世紀の建造だが1667年に起きた大地震で大部分が崩壊した。当時の様子を伝えているのは中庭部分と取り囲む回廊。14世紀ロマネスク・ゴシック様式の傑作として知られ、優雅な双子柱とその柱頭部分に施された彫刻は見応えがある。
修道院に付属するマラ・ブラーチャ薬局は、現在でも営業が続けられている薬局としてヨーロッパで3番目に古いといわれている。かつて自給自足に近い生活をしていた修道院では、中庭で育てた薬草やハーブを治療に利用していたという。当時のレシピで調合したローズウォーターやハーブ入りの軟膏はおみやげとしても人気がある。展示コーナーでは、圧搾機や天秤、蒸留器具などを見ることができる。
聖母被昇天大聖堂は総督邸の南に建つカトリックの大聖堂。もともと1192年にイングランド王リチャード1世によって建てられたが、現在見られるのは1667年の大地震後にバロック様式で再建されたもの。大理石製の祭壇には、ルネサンス期ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノによる『聖母被昇天』が飾られている。教会内の宝物室は有料で公開されており、金、銀、宝石などで装飾された聖遺物収容箱や聖具など、宗教美術を中心とした財宝が展示されている。
聖ヴラホはドゥブロヴニクの守護聖人。1000年以上前にヴェネツィア共和国の艦隊の奇襲を予言し、町を救ったという伝説がある。旧市街には三角の司教帽をかぶり杖を持った像があちこちにあり、今でも町を見守っているかのようだ。そんな聖ヴラホに捧げられたのが ルジャ広場にある聖ヴラホ教会。14世紀の創建、1667年の大地震ではもちこたえたものの、1706年の火災により被災、その後バロック様式で再建された。火災時にはあらゆる金銀の秘宝が焼け溶けてしまったが、主祭壇の聖ヴラホ像だけは無傷だったという。聖ヴラホは左手にドゥブロヴニクの町の模型を載せているが、この像は15世紀前半に作られたため、大地震前のドゥブロヴニクを表している。
ドゥブロヴニクは、西ローマ帝国の崩壊後にローマ都市だったエピダウロス(現ツァヴタット)からの避難民が移り住んだことが始まりといわれていた。当時は何もない岩の島(イタリア語でラウス、転じてラグーサ)で細い海峡を挟んだ対岸にはスラブ人が移り住み、スラブ語でドゥブロヴニクと呼ぶようになったと考えられていた。近年の考古学発掘による新説ではもともとの地形は島ではなく半島で、エピダウロスからの避難民前にも先住民はいたと考えられている。
ラグーサは、ヴェネツィア共和国やハンガリー王国の支配を受けつつも貢納金を支払うことで自治を維持していた。14世紀にはオスマン朝にも貢納金を支払い、オスマン帝国内の通行や貿易の権利を獲得する。最盛期には300隻を超える大型船を持ち、アドリア海から地中海諸国との交易を成功させたのだ。戦争をすることなく巨万の富を築いた稀有な例といえるだろう。
スポンザ邸は1516年に建てられた交易物資の管理施設。後に文化人のサロン的な場所にもなった。総督邸は総督の住居であり、議会や行政の場でもあった。ラグーサ共和国の総督の任期はわずか1か月。多分に象徴的なポジションではあったものの、権力を同じ人や親族に集中させないシステムとして癒着や汚職を防ぐ役割ももっていた。戦争をすることなく、自由市場での交易で国際的に地位を高めたラグーサ共和国だが、大航海時代を迎え大西洋や太平洋へ交易の中心がシフトすると地中海交易の地盤は沈下していく。1667年の大地震は壊滅的な被害を出し、そこからかつての繁栄を取り戻すことはできなかった。
ドゥブロヴニクで食べてほしいのは、なんといっても魚介類。イカやタコなどの庶民的な素材からシュカルピナ Škarpina(カサゴの仲間)、ズバタツ Zubatac(大型の白身魚)など高級魚まで揃う。クロアチアはユネスコの無形文化遺産「地中海の食文化」の構成国のひとつ。オリーブオイルでシンプルに調理し、ワインを飲みながら友人や家族と一緒に食べるという習慣は「長寿食」としても話題になった。イタリア料理やスペイン料理になじみがある日本人に、ドゥブロヴニクの料理はぜったいにおいしいはず!
牡蠣はドゥブロヴニク近郊のマリストンで養殖されている。ヨーロッパ平牡蠣という薄くて小ぶりの種類で、ローマ帝国時代からの歴史がある。ペリェシャツ半島付け根部分の入り組んだ海岸は養分が豊富なため高品質な牡蠣が育つそうだ。1年中出回っているが3月が旬。産地のマリストンでは春分の頃に牡蠣祭りが行われる。レモンを絞って生牡蠣として食べるのが一般的だが、焼いて食べることもある。
ドゥブロヴニクのシーフードレストランで食べられるが、グンドゥリッチ広場にあるカメニツェKameniceは、クロアチア語で「牡蠣」という意味の店名。手頃な値段で食べられる人気店だ。
シュカンピŠkampiはヨーロッパアカザエビのこと。アドリア海を代表する高級食材とされ、プリプリした旨味の強い身で人気がある。オリーブオイル、ニンニク、白ワインにハーブ類を入れて軽く煮込んだブザラ Škampi na buzaru で食べたり、炭火焼きにもする。パスタに合わせることもある。殻が固いのでナイフで切り込みを入れた後、手で剥いて食べよう。身は少ないもののエビならではの旨さが口いっぱいに広がり、満足すること間違いなし! 大聖堂の近くにあるレストランアモレットでもシュカンピは人気メニューだ。
日本人が好む人気No.1メニューを選ぶなら、イカの唐揚げPržene lignjeではないだろうか? 小ぶりな剣先イカは加熱しても柔らかいのが特徴。アドリア海で穫れたヤドランスケ・リグニェJadranske lignjeはとくに旨味が強いと評判だ。
イタリア語でイカのことをカラマリCalamariということから、英語でも料理名としてカラマリを使うことが多い。英語メニューでCalamariはイカの唐揚げを指す。
同じイカをグリルにした料理もまたおいしいもの。英語メニューならGrilled Calamari。唐揚げもグリルもまずハズレはなく、多くのレストランで扱っているのでキーワードのCalamariを覚えておくといいかも。クロアチアでは魚やイカのグリルにクタクタに煮たスイスチャード(クロアチア語でブリトバBlitva、日本語ではフダンソウ)を付け合わせるのが定番、ジャガイモと合わせて食べてもグリルによく合っておいしい。
ドゥブロヴニクを始めとしたアドリア海沿岸地域ではタコもよく食べられる食材。定番はタコのサラダSalata od hobotnice。茹でたタコを玉ねぎやトマトと和え、ビネガーとオリーブオイルで味付けをした冷前菜だ。ケイパー(クロアチア語でカパリkapari)もアクセントに使われるが、これもアドリア海沿岸部や島で自生する特産物。通常は蕾の部分を食べるが、地元では実や若葉も食べる。スーパーマーケットで手軽に入手できるケイパーをおみやげにしてはいかがだろうか。
もうひとつ、タコ料理でおすすめなのが「ペカPeka」。ペカとは蓋付きの鉄鍋のこと。ここにタコとジャガイモを入れ、炉の熾火(おきび)の中に入れ、数時間蒸し焼きにする。タコは驚くほどやわらかくなり、エキスの染み込んだジャガイモがこれまた絶品の味となる。ドゥブロヴニクにはペカを提供する店がたくさんある。時間のかかる料理なので予約が必要だがチャンスがあればぜひ試してほしい。
アドリア海の海の幸はまだまだある。ムール貝はシュカンピ同様ブザラに、小魚はセモリナ粉をまぶして揚げた唐揚げで。ロカンダ・ペスカリヤでは鍋に入れた大盛りで提供する。日本の居酒屋のようにグループでシェアしてワイワイ食べるスタイルだ。レモンを絞るのもお忘れなく!
ロジャータRožataは日本人に人気のあるドゥブロヴニク名物のデザート。バラRužaの名が付くのは伝統的にバラのリキュールを使うため。現代ではバラのリキュールを使うことは少なくなったが、ドゥブロヴニクのカフェならたいてい扱っているおいしいカスタードプリンだ。とくに評判なのがフィッシュレストラン・プロトの一品。ミシュラン掲載の高級店だけあって、舌触りも滑らかな上品な仕上がりだ。
ドゥブロヴニクでおすすめのおみやげは、民族衣装に付けられた「ボタン」と「刺繍」。 ドゥブロヴニクのボタンは細い線状に延ばした銀を球状に編んだフィリグラン(透かし細工)。もともとは袖や襟元を止めるための実用品だが、現代ではピアスやペンダントヘッドなどのオリジナルデザインのアクセサリーとして人気がある。
ドゥブロヴニク刺繍は、旧市街の南に位置するコナヴレ地方の刺繍技法。昔は自家栽培したカイコから絹糸を引き、草木染で色糸を作っていた。女性の手仕事として親から子へと受け継がれてきた技法だそうだ。
旧市街にはフィリグランを扱うジュエリーショップがいくつかあるが、ヴァレン は家族で切り盛りする店。伝統技法にもとづいた丁寧な手仕事と、新しい発想のキュートなデザイが特徴だ。アンティークも展示されており、現代の作品と見比べながら買い物ができる。
刺繍製品はドゥブロヴニクの手工芸品のなかでも人気があるもの。ただし、安いものには機械製品や外国製もあるので注意したい。小さなものならコースターや栞、サシェがおすすめだ。ランチョンマットとのセットで揃えるのもテーブルが映える。写真はドミニコ会修道院の階段で民族衣装を着て刺繍を売るカテさん。4〜10月の日中、悪天候でなければ日曜祭日を除いて毎日作業をしている。刺繍をしているところを写真に撮るときは声を掛けるようにしよう。
プロチェ門の外側にある女性支援のNGO。女性が適正な収入を得られるよう技術支援をしている。ハンドメイドの刺繍のほか、名産のオレンジを使った砂糖漬けやジャムなどを販売している。
ドゥブロヴニクの魅力はなんといってもその印象的な風景。オレンジ色の屋根は朝日に夕日に美しく輝き、どこまでも青い海とのコントラストは旅人に強烈なインパクトを与えてくれる。唯一無二のこの美景を求めて、世界各地から観光客が訪れるのだ。
そんなおとぎの国のような世界観から、旅人を現実に引き戻してくれるのがグルメだ。アドリア海の魚介がシンプルに楽しめるのは、日本の心にも通じる潔さがある。イタリア料理にも近い味付けはなじみやすく毎日食べても飽きないほどだ。ドゥブロヴニクの歴史がそのまま息づく旧市街にどっぷりと身を置き、町のすみずみまで歩いてほしい。
文:大和田聡子
写真:岩間幸司、どんぐり・はうす