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【福岡】足利尊氏が坐禅したと伝わる大岩が宗像市にあった?!

久田 一彰

久田 一彰

更新日
2026年7月5日
公開日
2026年7月5日

歴史のことを調べていると、「え? ここにこんな有名人が来ていたの?」と、思いがけないことに突き当たることがあります。

今回は先日訪ねた白山城のふもとにある、「山田地蔵尊 増福院」。ここの裏には足利尊氏が坐禅をしたと伝わる大岩がありました。

実際にこの場所を訪れると、足利尊氏は坐禅した際に、こんなことを考えたのではないだろうか? と思いにふけることができます。歴史の教科書には載っていないような出来事も、こういった場所で発見できるのは面白いですね。

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山田地蔵尊増福院とは

戦国時代、宗像大宮司家(むなかただいぐうじけ)の家督争いで命を落とした菊姫ら6人の霊を鎮めるため建立された地蔵尊です。六地蔵が本尊として祭られ、怨霊の祟りが収まったと伝えられています。「九州一の怪談話」として残る「菊姫様の怨霊伝説」となっています。

現在は安産・子育て・厄除け・子どもの健やかな成長・病気平癒のご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れる信仰の地です。

なぜ足利尊氏はこの地に来ていたのか?

その答えは駐車場の看板が教えてくれました。設置したのは「白山城址を守る会」。白山城の今と昔のことを伝えています。

南北朝時代、京都で楠木正成・新田義貞らと戦い、敗れた足利尊氏は九州へ落ち延び、白山城で宗像大宮司家に迎え入れられたと『宗像軍記』に記されています。

さらに独自に調べて読み解いてみたのですが、当主・宗像氏俊(むなかたうじとし)は、家臣との評議に加え、女禰宜による神楽と神託を仰いだ上で尊氏受け入れを決断したと伝わります。

武士であると同時に神職でもあった宗像大宮司家ならではの、政治と信仰が結び付いた歴史を今に伝える逸話です。

大岩の上で坐禅した足利尊氏は何を考えていたのか?

戦いに敗れわずかな家臣とともに落ち延び、起死回生の策はあるのでしょうか?

白山城に迎え入れられ、この大岩の上で坐禅したといわれている足利尊氏。確かにこの場所に来ると、静かで落ち着ける場所と感じました。

風がそよぎ、木々の擦れる音、鳥のさえずり。何かを考えるにはもってこいの場所です。

戦いに敗れてしまったものの、まだ生きている。家臣もいる。手を差し伸べてくれる人もいる。その事があきらめない覚悟を後押ししたのではないでしょうか?

その後の足利尊氏はどうなった?

福岡市東区多の津1 にある多々良浜古戦場の碑

足利尊氏の足跡を調べてみると、宗像大社で戦勝祈願をしたといわれています。その際、鎧を奉納。多々良浜の戦いへとおもむきます。

宗像勢も共に戦い、手元には楢の木の葉で包み込だ握り飯がありました。そして、菊池武敏軍と戦い見事勝利します。その後も戦いに連勝、ついには天下統一し、征夷大将軍となり室町幕府を開きました。

じつはこの握り飯、「楢の枝折」が山田地蔵尊増福院の家紋として残っています。

また楢の木は宗像大社の御神木。こんなところで足利尊氏と宗像大社がつながっていることに驚きでした。

室町幕府を開いた足利尊氏。その影にはこの坐禅した大岩があると考えると、ここはなくてはならないパワースポットであるかもしれませんね。

蔵には「楢枝折之御紋」

◾️曹洞宗 妙見山 増福院 坐禅大岩
〒811-3411 福岡県宗像市山田700
TEL:0940-33-8287
FAX:0940-32-5513
アクセス :車の場合 九州自動車道 鞍手ICより約25分九州自動車道 若宮JC下車 20分

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