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2025.4.11
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今の時代、二刀流といえばドジャースの大谷翔平でしょうが、真の二刀流といえば、二刀を用いる「二天一流兵法」の開祖、宮本武蔵でしょう。岡山県美作市の旧大原町は、剣豪・宮本武蔵の生誕地で、生家をはじめ武蔵が幼少期を過ごした、ゆかりの地が山里に点在しています。人気観光地のような派手さや賑わいはありませんが、ゴールデンウィークは、里山の新緑の匂い立つ爽やかな風を感じながら「武蔵の里」を散策してみませんか?
武蔵の里への最寄り駅は、智頭急行のその名もズバリ「宮本武蔵駅」となります。駅舎から15分も歩けば、武蔵の里に到着します。車で来られる方は、観光協会の向かいに無料駐車場があります。駐車場に沿って水辺の遊歩道があります。現在は休館中ですが、遊歩道沿いからは「武蔵資料館」の入口が見えます。
「武蔵資料館」は、剣豪・宮本武蔵にまつわる品を約150点ほど所蔵しています。NHK大河ドラマ「武蔵」が放映されていた年に、武蔵の水墨画「枯木鳴鵙図」を見たことがあります。モズの鋭い眼光と筆の勢いが印象的でした。敵の一瞬の動きも見逃さない剣豪ならではのモズの姿をとらえた一瞬だと思います。
宮本武蔵の生家のすぐ近くを流れる宮本川の水車。武蔵といえは吉川英治の小説「宮本武蔵」ですが、その作中では英田川となっていました。吉川英治氏の顕彰碑もこの近くにあります。
そして、川の左側には讃甘神社(さものじんじゃ)があります。武蔵はこの神社の宮司が叩く太鼓の2本のバチさばきを見て二刀流を編み出したと伝わります。
武蔵の生家です。私が中学生の頃ここに来た時は、武蔵の末裔というお婆ちゃんが家の中に招き入れて下さり、武蔵の生涯をかくしゃくと語ってくれたことがありました。武蔵は少年時代、父親によって十手術(じってじゅつ)を教えられ厳しく育てられたのに、村いちばんの暴れん坊に育ち、父とはそりが合わなかったといいます。
外観は美しく手入れをされていますが、住む人がいなくなったのか、今は家の前に鎖がかかり時の流れを感じました。近くには、武蔵の姉の嫁ぎ先といわれる平尾家のお屋敷も残っていました。今も子孫の方が住んでいらっしゃいます。
村のはずれに差し掛かった頃、武蔵神社があります。50年ほど前にできた武蔵を祀る比較的新しい神社です。
小さな拝殿ですが社務所もあり、”生涯負けなし”と伝わっている武蔵にあやかり、合格祈願や必勝祈願などに多くの人が訪れるといいます。
神社の近くには宮本家のお墓があります。武蔵のお墓もありました。苔むしたり赤みを帯びた趣のある古いお墓ばかりで、武蔵のお墓は奥の一番高い場所に父の墓の隣にありました。ここからは、壱貫清水を目指して鎌坂峠を登ります。
峠にさしかかるとツツジ園が見えてきました。ゴールデンウィークには2000本ものツツジが満開で、「ツツジ祭り」が開催中でした。釜坂峠を目指す途中には、武蔵ゆかりの人のお墓が ぽつぽつとありました。 山道を歩きながら春の山野草も楽しめます。
武蔵の生家から1㌔ほど歩くと、やっと壱貫清水がありました~。武蔵の里にやって来ても、ここまで来る人は滅多にいないみたいです。
当時の旅人たちは、ここで喉を潤し、冷たくて美味しいこの清水に「銭一貫の値打ちがある」といい、この名が付けられたそうです。「1両が4貫です」と解説にあったけど、今の金額でいくらなんでしょうね?
武蔵が修行の旅に出る際に、幼なじみの森岩彦兵衛と別れを惜しみ清水を飲んだという解説もありました。ここから更に300㍍ほ歩くと峠の頂上ですが、ここまでにしておきます。山道の100㍍はきつい!
峠からおりてきたら、「たけぞう茶屋」で一息つきます。”たけぞう”というのは、武蔵の幼名です。ここで冷たいソフトクリームをいただきます。壱貫清水の水もいいけど、やっぱり甘いもののほうが疲れが吹き飛びますね。メニューは他にも「二刀流めん」「たけぞうぶっかけめ~ん」「又八焼き(お好み焼き)」など小説の登場人物の名前も付けられていました。
■宮本武蔵生家跡
住 所 〒707-0415 岡山県美作市宮本946
電話番号 0868-78-3111(美作市大原総合支所)
営業時間 見学自由(外観のみの見学可能)
料 金 無料
交通アクセス(車) 鳥取自動車道大原ICから約5分
交通アクセス(公共) 智頭急行宮本武蔵駅から徒歩約10分
駐 車 場 普通車30台、大型車5台