• Facebook でシェア
  • X でシェア
  • LINE でシェア

【岡山】備中高松城水攻めの沼から400年後に蘇った宗治蓮

mami

mami

岡山特派員

更新日
2026年7月3日
公開日
2026年7月3日

こんにちは。岡山県特派員のmamiです。
梅雨の真っ只中ですね。梅雨とは縁の深い、備中高松城址をご案内しましょう。
歴史好きの方なら備中高松城と聞くだけでピンときますよね。
今年の大河ドラマ、『豊臣兄弟!』もそろそろ備中攻めに入る頃ではないかと思います。備中高松城は、日本史のターニングポイントにもなった羽柴秀吉の水攻めの舞台です。

AD

高松城の水攻めとは

公園内の布陣の案内板

戦国時代、織田信長の命により、播磨の三木城・因幡の鳥取城……と、次々に落城させていく羽柴秀吉ですが、その前に立ちはだかったのが西国の雄・毛利氏です。時の城主・清水宗治が守る備中高松城だけはなかなか落ちず、季節は折しも五月雨(梅雨)の季節、軍師・黒田官兵衛の進言を受け、秀吉は「水攻め」という奇策に出ます。

周囲が山々に囲まれた地形を利用し、高松城を囲むように約2.7㎞の堤防を築きます。近隣の百姓も動員され、わずか12日の工期で完成したと伝わっています。
梅雨で増水した足守川の水を堤防の中に流し込むと、もともと沼地に囲まれた備中高松城は、ひとたまりもなく湖の孤城となりました。このままでは兵糧が尽き、城内の兵やその家族は餓死してしまいます。
援軍に駆けつけた毛利氏側の武将、小早川隆景、吉川元春らも孤立する備中高松城の状況を前に為す術もなかったといいます。

  • 本丸跡に残る宗治公の辞世の句
  • 宗治の首塚
  • 宗治祭

この戦の最中、旧暦6月2日、明智光秀の謀反により織田信長は本能寺で自害します。
3日、毛利方に向かう光秀の密使を捕らえた秀吉は信長の死を知ります。一刻も早く引き返し明智光秀を討つために、信長の落命を隠し、高松城主・清水宗治の切腹を条件に講和を結ぶよう説きます。翌4日、主家である毛利家と城兵5000人の命と引き換えに城主清水宗治は湖上に舟を浮かべ自刃し和睦が成立します。享年46歳の若さでした。

毎年、6月の第1日曜日には宗治祭が行われます。
首塚の前には祭壇が設けられ、清水家の末裔や地元住民の方々が参列され、僧侶の読経のあと、太鼓や舞いの奉納があります。清水宗治の遺徳は、400年以上経つ今もを人々を魅了し続け、首塚の前には宗治を偲び参拝に来る人が絶えません。

 

400年後に蘇った宗治蓮

毎年、7月中旬~8月中旬になると、高松城本丸跡に面する池に『宗治蓮』と呼ばれる蓮が咲きます。この蓮は岡山市が歴史公園造成計画によって沼の復元をしたところ、自然に生えてきたそうです。
この辺りには蓮池の地名が残されていることから、古くから蓮が自生していた地と推測されています。

かつて、城を囲むように咲いていた蓮が令和の今も咲き誇り、私たちの目を楽しませてくれています。に
宗治蓮は、今年も見ごろを迎えました。岡山市が約7,000平方メートルの広大な沼の雑草を池の一部から取り除いたため、例年に比べて多くのハスが楽しめるようになったといいます。

また、宗治蓮が満開となる時季に合わせて今年も7月12日(日)午前6時~8時に「蓮見会」を開催します。先着250人にお茶や菓子などを無料で振る舞ってくださるそうです。
蓮は日の出とともに開花し、昼前には閉じてしまうため、美しく花開いた様子を見るには 午前8時〜9時頃まで の早い時間の訪問がおすすめです。

今も残る水攻めの史跡 宗治自刃の跡に建つ「妙玄寺」

 

備中高松城址のすぐ東に高松山妙玄寺(こうしょうざんみょうげんじ)というお寺があります。
ここはかつての高松城二ノ丸址にあたります。この辺りが清水宗治公が自刃した場所と伝わっています。

妙玄寺は、慶長5年(1600)、領主・花房職之により花房家の菩提寺として建立されます。その際に宗治に敬意を表し、供養のための位牌を祀りました。
400年の歴史を持つ寺ですが本堂は意外と新しく数年前に再建されたばかりです。

 

 

  • 清水宗治の供養塔
  • ごうやぶ遺跡
  • 豊臣方の布陣

 

本堂から向かって右側には、昭和38(1963)年に建立された供養塔があります。地元はもちろん、歴史愛好家などにも宗治公の人気は高く、高松城址とともに供養塔にも足を運ぶそうです。

そして、妙玄寺の近くにはごうやぶ遺跡というものがあります。ここは、高松城三の丸址で、総門のわきにあたり、田んぼの中に柵で囲われて残っています。城主清水宗治が切腹する船を追って、宗治の家臣らが互に刺し違えて殉死した場所と伝わっています。
この先で清水宗治は小舟に乗り、悠々と能の「誓願寺」を一舞披露し、潔く切腹したといい、そのあまりの見事な最期に、秀吉も「武士の鑑」と感嘆したといわれています。

また、ごうやぶ遺跡から東を見ると石井山があります。羽柴秀吉は本陣をこの山に移して水攻めを敢行します。ちょうど、白い幟の翻る場所が秀吉の本陣跡です。

 

最後に

いかがでしたか。
400年もの間、静かに土の中に眠っていた蓮の種が再び、地上で花を咲かせるなんてロマンチックですね。
備中高松城址は公園として整備され、備中高松城址資料館には水攻めの資料などが展示されています。
高松城の水攻めに関する遺跡は、今回御紹介した場所だけでなく今も数多く残っています。

インフォメーション

所  在  地 : 岡山市北区高松558-2

電話番号 : 086-287-5554 (備中高松城址資料館)

営業時間 : 10:00~15:00 8/29~10/4の土日祝の開館時間は9時~17時まで延長

定休日 : 月曜日(祝日の場合は開館) 年末年始◆休館日に限り100名城スタンプは近隣の「清鏡庵」に設置しています。

駐車場 : 約30台(バス3~5台)アクセス : JR桃太郎線「備中高松駅」下車徒歩10分

トップへ戻る

TOP