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マドリード最大の自然公園、カサ・デ・カンポを見下ろす小高い丘に建つ、白い石の宮殿。マドリードがマジュリートと呼ばれていたイスラム支配時代、9世紀後半に建設された城塞アルムダイナがあった場所だ。1083年に町がキリスト教徒に奪回されてからはカスティーリャ王国の宮廷がおかれ、1561年の遷都後は国王の居城となった。しかしアルカサルと呼ばれたそのれんがの城も、1734年12月24日の夜に炎上、すべて焼け落ちてしまう。18世紀初め、ヨーロッパ中を巻き込んだスペイン王位継承戦争の後、ハプスブルク朝に代わりフランス・ブルボン朝が始まる。パリ郊外のヴェルサイユ宮殿で生まれ育った初代国王フェリペ5世は火災を機に、新しい王宮の建設を命じた。1764年にはカルロス3世がこの宮殿に移り住み、以後、先々代のアルフォンソ13世が第2次共和政府樹立とともに追放されるまで、歴代の国王が住まいとしてきた。なお、現国王夫妻はマドリード郊外のサルスエラ宮殿で暮らしており、現在は公式行事などに使用されている。
150m四方の建物の中には、2700を数える部屋があり、現在も公式行事に使われている。王宮内に入り大階段を上ると「護衛の間Salón de Alabarderos」があり、「列柱の間Salón de Columnas」、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間をまねて造られた「玉座の間Salón del Trono」と続く。カルロス3世の居室だった3つ続きの部屋は「ガスパリーニの間Salón de Gasparini」と呼ばれ、2番目の部屋にはゴヤの描いたカルロス4世とマリア・ルイサ妃の肖像画がある。このほか、部屋中が焼き物で飾られた「磁器の間Gabinete de Porcelana」、かつては壁が黄色の絹で覆われていた「黄色の間Saleta Amarilla」、150人収容できるという「饗宴の食堂Comedor de Gala」など、その豪華さに思わずため息が出てしまう。
王宮の向かいに建つアルムデナ大聖堂Catedral de NuestraSeñora de la Almudenaも見逃さないように。また王宮前の広場からは、王宮とマンサナーレス川に挟まれたカンポ・デル・モーロCampo del Moroと呼ばれる庭が一望できる。
毎月第1水曜の12:00から約40分間、王宮前のアルメリア広場で衛兵交代の儀式が行われる(7 ~ 9月と公式行事開催時、悪天候の場合を除く)。約400人の歩兵隊と騎馬隊が19世紀後半と変わらぬ衣装で行進する様子は壮観だ。