山梨特派員ローマへ行く~2022秋〈その11〉ローマ近郊世界遺産の街アッシジの教会

公開日 : 2023年01月15日
最終更新 :
筆者 : 水月

ボンジョルノ~北杜・山梨特派員の水月です。
「山梨特派員ローマへ行く~2022秋」シリーズ第11弾は「ローマ近郊アッシジの教会」です。
トップの写真(写真提供:YasuoMaeda)からもわかるように、丘の上の街アッシジ。ローマ・テルミニ駅からアッシジ駅までは特急列車で2時間ほど。そこからバスで丘の上へと登りました。

アッシジは、聖フランチェスコ(1182年~1226年)が生まれ、その功績を残した街として〈世界遺産〉に登録されています。
12世紀、物欲を捨て去った「清貧」のなかにこそ愛と平和があると説いた、聖フランチェスコ。その名を慕い、その精神に共鳴し、巡礼に訪れる人々は今も絶えません。
聖フランチェスコの軌跡が残る教会を中心に歩いてみました。

サン・フランチェスコ大聖堂

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

「サン・フランチェスコ大聖堂」は、聖フランチェスコの死後、その功績をたたえるために建設された大聖堂です。町の北西にあたる斜面に建ち、その地で採れる白と優しいバラ色の石灰岩で造られた建物は上下二段に分かれ、上堂部分はゴシック様式、下堂部分はロマネスク様式となっています。
ウンブリア・マルケ地震(1997年)で聖堂は大きく損傷しましたが、改修工事によりほぼ創建当時の姿を取り戻したといいます。

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

大聖堂の前には、出征したものの戦わずして帰還したフランチェスコの像がうなだれていました。
フランチェスコは、戦争と病とに苦しんだのち、神の声を聞き、修道の道に入ったと伝えられています。

聖堂内部は撮影できませんでしたが、下部聖堂では、チマブーエの『聖母と天使と聖フランチェスコ』やロレンツェッティ『聖母と聖人』などの絵画が多数。上部聖堂では、ジョットの28シーンのフレスコ画で構成された『聖フランチェスコの生涯』が壁一面に飾られていて、見応えがあります。

サンタ・キアラ教会

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

「サンタ・キアラ教会」は、アッシジの名門貴族の娘キアラ(1194年~1253年)を祀る教会です。
キアラは、聖フランチェスコの熱心な信者で、その教えに導かれ女子修道会を創立しました。聖フランチェスコを精神的な父と仰いで生涯尊敬し、教えを受け継ぎ「清貧」を極める暮らしのなかで修道女として生きていたそうです。

教会は、アッシジの町を「サン・フランチェスコ大聖堂」と共に守っているかのように、町の南東に位置しています。白とバラ色の石灰岩を縞模様に積み重ねられたファサードは、大聖堂と形や雰囲気がよく似ていますね。
夕刻、美しくライトアップされていました。

サンタ・キアラ教会前の広場からは、アッシジの街並みを見渡すことができます。

サン・ルフィーノ大聖堂

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

アッシジの守護聖人、聖ルフィーノに捧げられた教会。アッシジのドゥオーモです。

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

外観の扉上部のバラ窓の美しい浮き彫りや、周囲の素朴で独特な彫刻など、ウンブリアのロマネスク様式のファサードにおいて、類を見ない素晴らしさだといわれています。

ここは、若きフランチェスコ、そしてキアラが洗礼を受けた教会です。扉を開けると左右に聖フランチェスコ、聖女キアラの像が迎えてくれます。ふたりの聖人を記念して、作られたそうです。

サン・ダミアーノ修道院

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

聖人とされる前の若きフランチェスコが神の声を聞き、ひとり石を積みながら修復した古い礼拝堂が残る修道院です。町の南東の端サンタ・キアラ教会から、さらに2㎞以上離れた田園風景のなかにたたずんでいます。

(写真提供:YasuoMaeda)
(写真提供:YasuoMaeda)

「サン・ダミアーノ修道院」の中庭です。
修道院自体小さな建物ですが、そのなかに、キアラが創設したクラリッセ修道会の僧院や、キアラが息を引き取った場所に立つ礼拝堂など、いくつもの部屋が残されていました。
何の装飾もない質素な建物のなかを歩くと、聖フランチェスコの「清貧」への強い意思を感じることができました。

聖フランチェスコゆかりの教会。イタリアのなかでも「緑のハート」と呼ばれるウンブリアの美しい自然。教会と同じくこの地で採掘された白やピンクの石を使って建てられた家々。そして、そこに暮らす人々の笑顔。
アッシジは、心に残る町だったという日本人も多いそうです。
きっともう少しゆっくりと滞在することができれば、さらに共感することができたのでしょう。

次回は、そのアッシジの街歩きをお届けしたいと思います。

筆者

山梨特派員

水月

2000年に山梨県北巨摩郡明野村(現 北杜市明野町)に移住。田舎暮らしを始めました。3人の子育て経験や女性ならではの視点、食いしん坊の資質を生かして、山梨の魅力を発信していきたいと思っています。

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