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フィレンツェでも最も古い聖堂建築のひとつ(11~12世紀)で、長い間ローマ時代のマルス神殿だと信じられていた。8角形のプランで、西側の後陣は後(1202年)に付け加えられた。様式的にはロマネスクだが、デザインの明解さと単純さ、建物の規模や均衡、過度な装飾の排除などの点ですでにフィレンツェ独自の建築の特性が認められ、後にA.ディ・カンビオやブルネッレスキの指標となった。
3層からなる外部は白と緑の大理石で装飾され、1層には円柱と付け柱が、2層には8角柱とアーチと窓が並び、最上部は縦溝のある古代風の付け柱で仕切られている。屋根は8角形のピラミッド型をしている。南北と東の扉にはブロンズのレリーフ装飾が施され、最も古い(1330年)南側の扉Porta a SudはA.ピサーノ作で、『洗礼者ヨハネの生涯』が描きだされている。北側の扉Porta a Nordの『キリストの生涯』は1401年のコンクールでブルネッレスキに勝ったL.ギベルティLorenzo Ghibertiが制作した物で、いまだゴシックの影響を残している。ドゥオーモに面した東側扉Porta a Estもギベルティによるが、後にミケランジェロはこれを『天国の門』Porta del Paradisoと呼んで称賛した(現在見られるのはレプリカ)。旧約聖書からの10の場面は、すでにルネッサンスの建築的な空間を感じさせており、北側の扉とは大きく作風が異なっている。扉の上の彫刻『イエスの洗礼』(16世紀初頭)はA.サンソヴィーノの手になる。
内部は8角形で、天井はクーポラとなっている。床には簡素なモザイク模様(12~14世紀)、壁面下部には大理石模様が描かれ、8角の壁面に沿ってアーキトレーブを支える円柱(ローマ時代のフォロから持ってきた物)と角柱が並んでいる。上部にはアーチ形の2連窓が配置され、クーポラは『最後の審判』、『洗礼者ヨハネ伝』、『キリスト伝』(13世紀前半)などの金地のビザンチン風のモザイクMosaici Bizantineggiantiでびっしり覆われていて、厳粛な雰囲気を醸し出している。後陣のモザイク(13世紀前半)はマエストロ・ヤコポ作と伝えられる。堂内の対立法王ヨハネ23世の墓Tomba dell'antipapa GiovanniⅩⅩⅢはドナテッロとミケロッツォによる物だ。