- パリ
【パリ】フランスの歴史を内包する「コンコルド広場」の歩き方
2022.12.25
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中央にはエジプトから贈られたオベリスクが建ち、ヒエログリフ(神聖文字)が鮮やかに浮かび上がる。オベリスクの足元に立って北に目を向ければ、ロワイヤル通りの奥にマドレーヌ教会が見える。西にはシャンゼリゼ大通りが延び、はるかに凱旋門を望む。東にはチュイルリー公園とルーヴル宮、南にはブルボン宮(国民議会)……。360度にすばらしい眺望が広がるこの広場は、まさにパリの「要」というにふさわしい場所。特に夜景の美しさは、パリでいちばんともいわれる。
もともとはルイ15世のために造られた広場で、「ルイ15世広場」と呼ばれていたが、フランス革命の勃発により、「革命広場」と名を変えた。中央にあったルイ15世の騎馬像は取り払われ、代わりに置かれたのがギロチン台。1793年から1795年にかけて、ルイ16世、マリー・アントワネットを筆頭に、デュ・バリー夫人ら貴族たち、革命の指導者であったダントン、ロベスピエールなど、1119人がこの広場で処刑された。そんな血なまぐさい記憶を消し去るためだろうか、1795年には「調和」を意味する「コンコルド広場」と再び名を変え、現在にいたる。