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パリ発祥の地、シテ島に建つゴシック様式の大聖堂。フランス中世文化の美しい結晶であり、当時の豊かな精神文明に触れることのできる、至宝ともいえる建築物だ。「ノートルダム(われらの貴婦人)=聖母マリア」にささげられたもので、荘厳な建築はもとより、彫刻やステンドグラスにおいても美術史上重要な位置を占めている。建設が始まったのは1163年。もともとここには「サンテティエンヌ」という名の古い教会があったのだが、首都によりふさわしい建造物をと望んだ、パリ司教モーリス・ド・シュリーの決断によって、壮大なスケールの大聖堂が建設されることになった。モデルにしたのは、ゴシック建築のさきがけとなった、パリ近郊にあるサン・ドニ・バジリカ大聖堂。ラテン十字を基本とした平面プラン、33mの高さをもつ天井の重力を吸収させるためのリブ・ヴォールトやフライング・バットレスなど、ゴシックの高度な技術を駆使して建設を進め、最終的な工事が終了したのは14世紀初めのこと。奥行き100mを超えるスケールはもちろんのこと、3つのバラ窓を含む見事なステンドグラス、繊細なレリーフや彫刻が刻み込まれた傑作が誕生した。なかでもふたつの塔を左右に据えた西側正面のスタイルは、その後、フランスのゴシックの典型ともなった。
●破壊と再生の歴史を経て
何世紀にもわたって信仰の中心となったノートルダム大聖堂だが、18世紀になると、美観を損なう改築が行われるなど、老朽化と相まって、もとの美しさが失われていく。さらに、フランス革命勃発時には、彫像が破壊されるなど多大な被害を受けて、衰退の一途をたどった。しかしその後、1804年にナポレオンがここで戴冠式を行い、ヴィクトル・ユゴー原作の小説『ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムの鐘)』の大ヒットにより、国民の間でも復興を望む声が高まった。そして19世紀半ばに大聖堂の修復が行われることになった。工事に携わったのは、数々の中世建築をよみがえらせ、再評価への道筋をつけた建築家ヴィオレ・ル・デュック。失われた彫像の修復はもちろん、ステンドグラスや内陣など全面的な修理を行った。
●火災による焼失と再建への道のり
2019年4月15日、ノートルダム大聖堂に火災が発生。屋根の大部分と尖塔が焼け落ちた。幸いバラ窓をはじめとするステンドグラスやファサード(正面)は被害を免れ、聖遺物である「茨の冠」をはじめ、貴重な宝物の数々も運び出されて無事だった。2023年2月現在、修復工事が進められており、荘厳な姿を再び拝観できる日が待たれる。
2019年4月の火災を受けて、マクロン大統領は「5年で再建する」と明言。焼け落ちた屋根のデザインを広く公募す
るなど、修復計画が具体的に進んでいる。焼失した尖塔は元通りの形で再建されることになった。
現在(2023年2月)は内部の見学はできないが、幸い被害を受けなかったファサードは、正面の広場から見ることができる。再開は2024年4月16日の予定。
1163 建設開始
1239 聖ルイ王が聖遺物「茨の冠」をエルサレムから持ち帰る
1793 ファサードの一部が破壊される
1804 ナポレオン1世が戴冠式を行う
1845 ヴィオレ・ル・デュックによる修復開始
2013 創建850周年を記念し、9つの鐘が付け替えられた
2019 火災で屋根と尖塔を焼失
2020 修復工事が進められる