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「凱旋門」とは、戦いに勝利したことをたたえ、その記念として造られた門のこと。その起源は古代ローマまで遡るが、世界で最もよく知られているのは、「エトワールの凱旋門」だろう。シャンゼリゼ大通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場の中央にどっしりと構える門は、まさに「栄光の門」と呼ぶのにふさわしい威厳を感じさせる。
門の建設のきっかけとなったのは、1805年に勃発したオステルリッツの戦いだ。フランス軍は自分たちの倍の規模をもつ独墺露伊連合軍を迎え、皇帝ナポレオンの指揮のもと、オステルリッツで死闘の末、劇的な逆転大勝利を収めた。全ヨーロッパの予想をくつがえす、劣勢からの奇跡的大勝利だった。この勝利の記念としてナポレオンは、当時5本の大通りが集まっていた星型広場(エトワール)に、大凱旋門の建設を命じる。設計を担当したのはシャルグランで、1806年初頭に礎石が置かれた。しかし、工事は遅々として進まず、オーストリアからマリア・ルイーズがナポレオンの2番目の妃として嫁いできたときは、ほんの50cmほど地上に顔を出した状態。ハリボテを載せてその場をしのぐ有様だった。
ナポレオン失脚後、王政復古までの4年間、工事は中断し、1836年にようやく完成を見た。その完成を待たずに亡くなったナポレオンは、死後19年たった1840年、イギリスより返還された棺に入ってセント・ヘレナ島から帰国し、大セレモニーとともにやっと門をくぐることができた。
1854年には、ナポレオン3世統治下でパリの都市改造が行われ、エトワールに新たに7本の大通りが開設された。さらに、イットルフによる同じデザインの建築物が周囲を取り巻き、凱旋門とエトワール(ド・ゴール)広場は現在の姿になった。1921年には、第1次世界大戦中に倒れた身元不明の戦死者のひとりが、戦死した兵士の代表として凱旋門直下に葬られた。それ以降、凱旋門は、祖国フランスのために命をささげたすべての人々の共通の記念碑となり、数々のセレモニーが行われている。
門の足元にある無名戦士の墓の追悼の炎と花は、絶やされることがない神聖なもの。毎日18:30から点火と献花のセレモニーが行われている。
凱旋門の屋上に上れば、あらためてその壮大なスケールに圧倒されることだろう。ルーヴルまで真っすぐ延びていく、シャンゼリゼ大通りの眺めもすばらしい。
屋上の下部分に当たる部屋は「アッティカの間 Salle de l'Attique」と呼ばれ、最新テクノロジーを使って凱旋門の歴史が紹介されている。ミュージアムショップもある。
横断歩道もない広場の真ん中に建つ凱旋門へは、地下通路を通って行く。シャンゼリゼ大通りか、反対側グランダルメ大通りAv. de la Grande Arméeからの階段を下り、ふたつの大通りを結ぶ地下通路の途中で上に出れば凱旋門の足元だ。
シーズンによっては長い列が出来る事も。公式サイトで日時指定のチケットを事前購入できるので、訪問日が決まっているなら事前予約がおすすめ。
事前予約サイト:https://tickets.monuments-nationaux.fr/fr-FR/produits-seances