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「大英」の名を冠するのにふさわしい博物館。古今東西の文化遺産を集めたミュージアムとして、世界一の規模を誇る。世界中から年間なんと約600 万人以上の見学者が訪れる。まさにロンドン最大の観光スポット。なにしろ、時間的には旧石器時代から近代まで、空間的にはヨーロッパから中近東、アフリカ、西アジア、インド、中国、極東までを網羅しており、これだけの規模の博物館は、これから先、造られることはないだろうとまでいわれている。
この大英博物館創立のきっかけをつくったのは、サー・ハンス・スローンという人物。内科医であり、また考古学者、旅行家でもあった彼は、1753 年に92 歳で世を去るまでに膨大なコレクションを残した。化石類、植物、鉱物、動物学的・解剖学的・病理学的標本、さらには骨董品から絵画や版画、写本や印刷物、果ては貨幣にいたるまで、その数8 万点に及んだという。そして、サー・ハンス・スローンの遺言により、適当な保管場所の設置と、彼の遺族に代価として2 万ポンドを支払うことを条件に、これらのコレクションはすべて国に寄贈されることとなった。当時の英国議会は必要経費を捻出するために、今でいう宝くじを発行し、カンタベリー司教や下院議長、大法官などからなる財団が組織され、博物館の運営という一大プロジェクトが1753 年にスタート。
スローン・コレクションに加え、それまでウェストミンスターの地下室で眠っていた、サー・ロバート・コットンの遺品(主として中世の写本のコレクション)、チューダー朝以来王室によって集められてきた約1 万2000 冊の書物、さらにオックスフォード伯エドワードが遺した古文書のコレクションを合わせて、大英博物館がオープンしたのは1759 年のことだった。
当初、財団が購入したモンタギュー公爵の私邸(モンタギュー・ハウスと名づけられた)で一般公開が始まった。しかし、考古学上の発見が相次ぎ、文化遺産が続々と発掘されるにつれて、このモンタギュー・ハウスでは展示しきれなくなってしまった。そこで1824年、ロバート・スマークの設計による大増築工事が行われ、約20年かけて現在見られるような建物となったというわけだ。だが、増える一方の蒐しゅう集品とかぎられたスペースという問題はその後もますます深刻化。19 世紀後半から20 世紀初頭、地球全土に植民地をもち、「日の沈む時なし」といわれた大英帝国の全盛期をむかえ、ついに展示の分散が始まった。自然史の分野はサウス・ケンジントンへ、新聞はコリンデールへ、といった具合に、新しい博物館を設立しては展示物を移転。その後本館も再度の増築が行われ、キング・エドワード・ギャラリーやグレートコートが新設されるなどした。また、1997 年まで本館内にあった大英図書館もセント・パンクラス駅近くの独立した建物に移された。
なにしろ世界最大級の博物館だから、じっくり観て回ろうと思ったら1 週間費やしても足りない。どれを観たらいいかわからないという場合は、下のモデルルートを参考にしてほしい。ルートのものだけでなく、気になるものがあったら積極的に立ち寄って眺めてみよう。発掘や修復、研究過程などについて書かれた説明パネルも、時間があれば読んでみるとおもしろい。あるいは、自分の興味ある分野がわかっている場合は、そこを重点的に観るのもおすすめ。 館内には荷物預かり所、レストラン、カフェ、トイレ、売店まで完備されているので、1日ここで過ごしても困らないし、無料という恩恵を生かして何度も足を運ぶのもいいだろう。写真撮影も、借用中の展示物など一部を除いては規制されていないが、三脚をたてたり、他の人の鑑賞を妨げるような行為は慎もう。
ここでは所要時間1.5時間程度のモデルコースを紹介する。正面入口からグレートコートに入り、左側中央のルーム4 へ入る入口からスタート! ロゼッタ・ストーンが目の前にある
1799 年、ナイル河口西岸のロゼッタで、当時エジプトに遠征していたナポレオンの部下のひとりが偶然発見したも
の。その後1802 年、フランスが撤退した際に、イギリスに接収された。古代エジプトの神聖文字(エジプト象形文
字)、民衆文字、それにギリシア文字の3 種類が刻み込まれており、1822 年にフランス人ジャン・フランソワ・シャンポリオンによって神聖文字の秘密が解き明かされた。玄武岩に、プトレマイオス5世がエジプトのために行った
数々の業績をたたえる碑文が詳細に書かれている。
新アッシリア帝国(イラク北部)の王宮室内の壁面装飾だったもので、かつては鮮やかに彩色されていた。生きいきとしたライオンの描写や、当時の王族の武具、衣装、装身具などを見ることもできる。
アテネの守護神アテナにささげられた神殿パルテノンの東側の屋根の一部に付いていたもので、神殿に配置されていた順に並んでいる。19 世紀にイギリスに持ち帰ったエルギン伯爵にちなんで『エルギン・マーブルズ』とも呼ばれる。ギリシア政府から幾度も返還要求が出されているが、英国政府が「これほど貴重な人類の財産を前世紀から保存できる国がほかにあったろうか」として応じないという、いわくつきのものでもある。
古代エジプトの像が居並ぶ部屋でも巨大な姿をみせるのが『ラムセス2 世(左。BC1250 頃)』。自身の像をたくさん造らせたという『アメンホテプ3 世(右上。BC1370 頃)』の花崗岩でできた像も巨大。いずれもエジプトの首都テーベのもの。このほか、聖なる虫として崇拝されたスカラベ(フンコロガシ)の像などもある。
『女祭司のミイラ』は、紀元前1000 年頃のものだが、現在知られているかぎりでは最高水準のミイラ製造技術によるものという。猫をはじめ、動物のミイラも数多く作られた。死後の世界へ案内するための呪文が書かれた『死者の
書』、臓器が保存された特殊な壺、死者とともに埋葬された小さな像、研究過程の説明などもあり、見応え十分。また、ミイラではないが、髪の色から『ジンジャー』(赤毛という意味)と名づけられた遺体は、紀元前3100 年頃に埋葬されたとは思えないほど完全な形で残っている。
シュメール(中近東)の古代都市で発掘。『牡山羊の像』や世界最古に数えられるボードゲームなど、細工もすばらしく、洗練された文化が存在したと考えられている。
イングランド東部サフォーク州で、アングロサクソン時代の船葬墓から黄金や装飾品、武具などが発掘された。兜は粉々になった破片を2 年以上かけて修復した。
スコットランドのルイス島で発見されたチェス駒。映画『ハリー・ポッターと賢者の石』で参考にされたことでも有名。ノルウェー製といわれ、セイウチの牙で造られている。
グーグルマップのストリートビューを使えば、大英博物館内を歩いているようにオンライン探索できる。
URL: https://artsandculture.google.com/partner/the-british-museum
物館内グレートコートの上階にある、オープンキッチンのレストラン。フレッシュな素材を使った料理やアフタヌー
ンティーも楽しめる。ランチ11:30 〜15:00、アフタヌーンティー15: 00 〜17: 30(ひとり£22)、ディナー(金曜のみ)17:30 〜20:30
大英博物館前にあるミュージアム・タバーン Museum Tavernというパブは『青いガーネット』に登場した場所。ホームズは、ここで“ガチョウ・クラブ” について聞いている。大英博物館見学のあとにでも立ち寄ってみては?